16 August 2012
蛍の光
命日 昨夜まとまった雪が降り一段と世の中が静まりかえる朝を迎えた。闇の一晩中荒れ続け、もがき狂った果てにたどり着いたかのうような静けさの、まっさらな雪で更新された光景は故人を偲ぶのにふさわしい。命の日と書いて命日。生死と背中合わせだが、生まれた日ではなく、命の日はむしろ亡くなった日であるかもしれないことをあらためて思いなおし、雪下に命の日が幾重にも複雑に折り重なり、巡り巡ってまた春先に生まれ、そして命をまっとうするだろう連鎖の蠢きにめまいがしそうになる。人は絶対に「死ねない」と言う。死ぬという行為に挑むことができたとしても、自分が死んだという確認は絶対できない、という意味において。故人もいつものお昼過ぎ、独りお茶を飲んでいる最中にうつぶしたまま亡くなったところを帰宅した家人に確認された。まさか自分が死ぬ・死んだなんて微塵も思う暇もなくお茶を飲みながら、文字通り、「永遠の眠り」についた。 「・・・まっさらの、ふんわり降り積もった雪上で、永遠の眠りにつく・・・」 美しい雪景色は、人を幻想に迷い込ませ、生死の境界をあいまいにし、魂を遠くへいざなう。そんな衝動のかけらと似たようなものが、敢えて冬山に挑む冒険心の中にもあるのだろうか。氷点下の平地にいることをまともに思い出すだけでも魅惑だけで挑めるほど甘くはないからきっと、常に生と死を意識しざるを得なくて、身体の火、あるいはこころの火を自身の力でつけることが求められる。となりの誰かは生死の境界までは手をのばせない。自然に委ねることも含めた他力と自力のせめぎ合いに身をおく。冒険家たちは、筆やコトバではない生身で、そんなリアルな生の現実を表現する芸術家なのだろう。氷点下の、ほとんどあらゆる生き物たちの気配のない一層と静寂のきわだつ朝の雪原に、ふと、うさぎの足跡を目に留めると、からだにぽっとかすかな灯がともった。