2026-10-04

Welcome to the blue planet, little one

研鑽と修業を兼ね北海道を離れ東海地方で暮らす、親子ほど年齢差のある級友が「北海道のもうひとりのお母ちゃんへ」として懐妊の報告をしてくれたのだが、吉報にも関わらず相談に重きが置かれていた。RSワクチンの接種を推められ循環器系の持病や母体には悪影響はないと言われたものの、自分でも調べてみたが不安が残る、独断で構わないから、接種までには猶予がある、急がないので意見を乞いたいとする内容だった。ワクチンと称される新しいタイプの薬剤は同じ目的でも高齢者と妊婦ではタイプが違うにしてもいずれも新型、つまり有効性と何より副作用のモニタリングと検証がしばらくは求められ、慎重に扱われるべき使用歴の浅い薬剤だ。従来の生ワクチンでも不活性ワクチンでもなくバイオ技術による組み換えサブユニット構成物を母体に注入し意図的に免疫を促進させた結果、産生された抗体が胎児に届くというものらしい。免疫グロブリンが「胎盤を通過する」の売り文句に私は反射的に水俣病を想起した。深刻な中枢神経障害が確認されていたにも関わらず国、行政、企業の対応が遅れに遅れた。公害や薬害は大いにしてそうだ。当時は毒物が胎盤を通過することが知られておらず汚染した魚を食べた母体には問題はなかったが胎児が水俣病を罹患して産まれてきたと言う惨事。有機水銀のようなあからさまな毒物ではあるまいし、母体が産生する抗体だから胎児への副作用も起きにくいだろうと仮定されることへの一定の理解はするものの、そもそも乳児にとってごく一般的な感染症であるにも関わらず果たして必要不可欠なのか、さらに自身の免疫を獲得してゆく段階で体の自然な機能に先回りし介入し過ぎていやしないか。遅疑が不知火海の水と胎児をとりまく羊水がひとつながりだった頃の遠くに意識を追いやる。そんないつもの杞憂も隠さず「独断の」思いをいったん伝えた。改めて添付文書を見直し、またこの薬剤も含む新型の薬剤に関し偏見抜きで、精査し情報更新して下さっている専門家集団のオピニオンとして全国有志医師の会のサイトのアドレスと、ついでに産んでからのこと、北海道の二人のおばあちゃんたちとは別にいつでも相談にのり相応しいかたちでサポートして下さるドゥーラ協会のサイトのアドレスも貼りつけて送信した。返信にはクラスメイトで私も知る彼女のパートナーが「産むこと以外だったらできるから」と細々とした行政手続きから誕生、育児の準備諸々を積極的に調べて動いてくれていると言う何とも頼もしい様子を知らせてくれていた。

柔道整復学科と2年入学をずらし鍼灸と両学科に在籍した彼らは昼から夜まで勉強する、柔整では国家試験を控えた3年生だった。夜間の鍼灸の授業を終えた放課後、9時半過ぎに残って国家試験の勉強をしている二人の姿をよく見かけた。日頃元気印を絵に書いたような付き合いも勉強もストイックな彼女の持病がその頃悪化したことがあり、保護者の方が迎えにいらっしゃるまで付き合い始めてまだ日の浅かった彼が深刻な面持ちで彼女の背中をさすっていた夜の教室での光景が甦る。彼のことが大好きで信頼し尊敬もしていると言う彼女の出産の無事を願いながら、年が明けて誕生する女の子への小さな贈り物のことを思い巡らせている。


2026-09-06

題詠は電話

固定電話のあるダイニングへ一歩ずつ足を運ぶ年寄りを煽るような呼び出し音に受話器を握るこちらの手に力が入る。義父の八百屋や寿司屋さながらの威勢よさと凄みの混じる第一声「はーい!」に緊張はピークになって一気に弛む。腰痛が和らぐから赤ん坊のように丸まって寝てます、しゃんねーよ、齢が齢だからなー、と畳み掛ける声に元気でうれしいと応えると、なに、お前そんなことでうれしいの、のやりとりもいつものことだ。家人に子供の頃の義父との思い出を尋ねてみると三つあげた。5~6才の頃、父が縄でぐるぐる巻きにした棒を庭に立て、それを標的に殴る練習を強いた。しかし痛いし興味ないわで長くは続かなかった。二つ目は滑りの悪いお勝手の小窓を力任せに扱いガラスを割ってしまったとき、その箇所をお母さんが新聞紙で応急処置していたところに帰ってきた父はいきなり息子を殴った。三つ目は父にメロンを食べるかどうか尋ねられたときの受け答えの態度が悪かったらしく、手足を縛られ江戸川の河川敷に捨てられた、のだそうだ。私の頭の中は一瞬にして真っ白になり、心に傷を負わなかったのか?やその後の親子関係に問題はなかったのか?など疑問符でいっぱいになった。しかし、どうやらかげやま家ではそんな心配は何のその、後腐れも何もなく、父を恨むことも恐れることも自身に劣等感を抱くこともまったく微塵もなかったのだと言う。少年たちが主人公の物語の描写に、会えばいきなり相手の頭をぶって、たちまち取っ組み合いの喧嘩を始めたかと思うと、それで余計仲良くなるような男の子たちの世界に通じる秘密があるのか、少女たちが主人公の物語の女子の友情のように多くの会話から育つのとは違う回路があるのか。星飛雄馬を思い出してもみたが疑問符は薄まるわけではなく私はしばらくポカーンとしていた。

国民学校の児童だった義父が、多くの生徒が裸足で登校、用意された足洗い場で綺麗にしてから教室にあがったこと、その洗い場は軍人さんたちも時々利用していたこと、常に腹を空かせていたことなど当時の記憶を語ってくれたことがあった。戦中、戦後占領下でのそんなキナ臭い時代の空気をもろに浴びた子供、少年時代を潜ってきた老い先短い義父への労いの気持ちをまた改める。


元気かな 父の大声 黒電話 私はライオンオラウータン / 息子


2026-08-03

ホザキシモツケの才略

原野に膝丈くらいの蝦夷松の苗木を植え整備された温泉分譲地を手に入れた30年ほど前、スコップ片手に中心部の苗木を端へ端へと追いやるように移植した。数年後ようやく建物が建った頃の周囲には熊笹、白樺、タモ、ヤナギ、イタヤカエデが自生し、若い蝦夷松の苗木と新築の建物が建築工事後の荒れた庭に妙に浮いていた。宿をオープンしたばかりのてんやわんやのさなかに、いったいどうやって時間と元気をやりくりしたのだろう、殺風景の庭のために毎夏2~3種のハーブ苗を求めて滝上、帯広、広尾に車を走らせた。草木の知識もなく後先考えることもなしに植えたものだから成長して光を遮るようになった今では、蝦夷松は伐採を要しハーブは自生の草花と共に繁茂し淘汰されて数種に、植えた草木の大半は鹿の食糧となった。アザミまで完食するようになった近年、すっかり観念し鹿よけのために紐で囲ってからは再び花や実をつけるようになった。まだ鹿の出没が少なかった頃に植樹した楓、北辛夷、ニシキギ、石楠花、さつき類は齧られようが今でも元気だ。小さな庭にこだわらなくとも見渡せば北海道はまるごとガーデンだと思う。そんな自然環境を背景に栽培種といわゆる雑草や野の花、草木が渾然一体となって景色に溶け込んだ壮大な庭園のある滝上を20数年ぶりに訪れた。仕事がすなわち喜びであり生活であり全身全霊の時をかけた人生そのものでもある『陽殖園』は71年前に当時14歳だった園主がスコップと一輪車で土を盛って山を造り、土を運んで谷を埋め、穴を掘り池を造る大がかりな土木工事とも言える作業を含め自生の樹々と草花を生かし時には品種改良をして、また時には本州の花を植え育て愛でた命の時間に少年の思いが結晶化した、未だに生成中のガーデンだ。ここには鹿よけの柵もなければ指定外来種のフランス菊も特定外来生物のオオハンゴンソウでさえ大人しい。この地域は入植が遅く厳しい条件下の開拓に敗戦後のブラジル移住政策時には新たに希望を託し土地を離れる家族もあるなか、開拓農家三代目の長男は決断を委ねられた。満州からの引き上げ者たちの不幸な話を耳にもしていた少年はこの土地に残り生きていく決心をした。親の農家を手伝いながら、山を造り始めた。信念とエゴが表裏であったとしても狂人と思われようが誰に迷惑をかけるわけでもなく少年は一人きりで黙々と土を運び続けてきたと言うのだから、血と汗と泪の庭でないはずはないけれども、やはりここは純真の思い溢れる至福の庭と呼びたい。

母の背中におぶわれた赤ん坊の武市さんが手放さなかったと言う「ホザキシモツケ」の花言葉を思い出しながら彼を見初めたこの運命の花を前にしたら『桃色吐息』の旋律が口をついて出た。今、美留和では穂咲下野が真っ盛りだ。