2026-07-04
青の邂逅
オーガニックワインに関わる仕事をしていると言う東京在住の方から今度外国人でワインの醸造家、そしてモダンアートの芸術家でもある友人を連れて行きたいとの問い合わせがあった。かげやまは地元で手に入る食材を基本とし高級食材や高級ワインに拘っていないこと、ましてや「無香料ポリシー」など大変面倒くさい制約や諸々の不便がある所以、果たしてお客様の選択に間違いがないかどうかお確かめ頂くよう留保を挟む、そんなやりとりの末の御客であった。カルフォルニア出身のアーティストは一ヶ月の滞在予定で自転車のデザインの仕事を終え帰国前に北海道を旅し、最終日にかげやまに来て下さった。もしかすると失われつつある日本文化とマナーを心得ておられる礼儀正しいふるまいは基盤に母国の紳士的な身のこなしがあるからなのか大変好ましく映った。デザインだけでなく長距離の自転車乗り、波乗り、絵描き、古物愛好…など似通う好みに家人は親しみを増した。しかし何より日本の古いモノや暮らし、しきたりにまなざしを向け大事にして下さっている様子は私自身の文化や伝統の価値に対し御座なりであることを、神話や歴史の認識の希薄さを逆に自覚させられるようでもあった。古民家で寝泊まりしながらの田植えも既に経験済みだった。北斎と岡本太郎をことさら尊敬していると豪語するアート魂はやがて彼の体に刻まれた刺青の話にまで及んだ。明治以降の、日本での刺青に対する一般的な偏見も勿論ご存知だった。左肩から背中にかけての八咫烏、白虎と芍薬、左大腿後膝横紋上部の般若はいわゆるベル藍よりも赤味がかった杜若一色で、故に際立つ繊細さと和彫りの精確さに見とれるばかりか、それらの凄艶さに身がすくんだ。八咫烏と白虎がカルフォルニアの強風下の大波に乗り躍動する背景の空と海の青、波しぶきの色がまるで『富獄三六景神奈川沖浪裏』の北斎ブルーに収斂していくようにイメージされた。田中泯に演じられた蒼い雨に濡れる北斎を、そして富士山が見渡せる広大な地で晴耕雨踏の暮らしをする演じたその人の生き方をも想起した。藝術の「藝」の字は技(技術・技能・学問)や草木を植えて育てると言う意味があるらしいが宮沢賢二は日常の暮らしや生き方そのものがもっとも尊いアートであると言ったように、この方にとってはどんな空間をもキャンバスに変え自身もモチーフの、彼がまるごと文化と技巧そして大自然に融合する作品そのものであるかのように思えた。同行の女性が実は北海道、近隣の町の出身であるが高校から北欧に行き、その後は海外にいたので地元のことはほとんど知らないと言う話から30数年前に同じ町に暮らした縁で露天風呂の周りを近所だった植木やさんにお願いした経緯を伝えると、彼女は私たちが親しくしていた友人の姪であることが判明し、通訳もしばらく吹っ飛んでしまうほど皆で驚いた。数十の巨大な岩石と敷石で構成された露天は四半世紀のうちにいつしか野生に渋さが混在する坪庭と化した。私たちの友人の弟に当たる彼女のお父さんが今でもお祖父さんの代から続く家業を運営しておられるとのことだった。
むかしこの地に来たばかりで、まだ北海道に移住することなど思いもしなかった頃のオホーツク海ブルー(藍鼠)、摩周湖ブルー(群青色)、神の子池ブルー(緑青)を初めて見たときの衝撃が浅い眠りの月闇に何度も繰り返し立ち昇った。



2026-06-06
無我無心
二十年ほど前に山陰地方の派遣先で知り合った当時、学生アルバイト勤務をしていた友人が四年前に誕生した女の子のお披露目を兼ね遊びに来てくれた。お父さん、お母さんの言い付け通りに練習をしたのだろう、迎え入れるやないなやその子は一息に自分の姓名と年齢を言った。よくできました!とほほえましく思いながら私も自分の姓名を伝え挨拶を交わした。女の子はお母さんに助け舟を乞いながら幼稚園の友達のことを話し始めた。そして流行っているらしい『プリキュア』のことを話す頃には語り部に変身した。身に付けている服や靴下、車に積んであるモノもプリキュアグッズ。「絶賛夢中」の口吻は発展途上の言葉を繋ぐと呪文のようになめらかな謳いとなって妖精たちの世界へと誘う。プリキュア初心者なる私たちの理解をフォロウするかのように現実と虚構の垣根を軽やかに交わしながら語る様子に何か良い芝居でもみせられているかのような満足と感動をおぼえた。語りを終え意識がプリキュアから離れると急にお母さんに抱きついて隠れるようなしぐさもかわいらしかった。言葉がずれずに「通じる」と言う凄いこと、同時に会話を成立させる困難さを歩み始めた小さな女騎士の前途を思った。出会った頃学生だった友人の若い人特有の熱意と好意に対し、世代間の価値観の相違以前に言葉そのもののずれを恐れながらも真率に接してきたつもりだが、その後の大学院進学、就職、結婚時よりも今の父の姿がもっとも彼の良さを現しているように思えた。安全基地を成す若い両親と4歳の子の光景に気持ちが暖められる。プリキュア熱が私たちにも伝染したのか家人は絵をしたため私はマスコットを縫いながら、自分たちに4歳時の記憶がないことを残念に思い、家族アルバムの写真に写し取られた親子の断片に想像を膨ます。家人は補助輪つきの自転車のハンドルを掴む右手にも、若い父や母に抱かれている手の中にも必ず何かしらおやつを握りしめている。私は零才の妹を後ろから抱きしめている。「絶賛おやつに夢中」や「絶賛妹に夢中」のかつて4歳児だった子供たちの、写真が証明する過去の情景は未熟な海馬に定着しなかったもののどこか深淵に放たれているのではないのかと希望的観測で埋めてはみても、それらが忘却や失念、健忘にあらず「空白」であると言ういかんともしがたい事実がもどかしい。



2026-05-06
追偲
受けるばかりでかけてくることのない義父から電話があった。心なしかいつものべらんめい調が勢いに欠けると思いきや伯父の、父にとっては義兄が亡くなったという知らせで、せがれが幼少から中学まで随分と世話になった、と言う。家人よりも1つ年長と年少の従兄弟がいて休みのたびに伯父さんちに泊まりに行っていたそうだ。小学生になったばかりの男の子たちにスキーとスケートの体験をさせてくれた。皆をまとめて電車に乗せ色んなゲレンデに連れていってくれたのも伯父さんだ。一冬に3〜4回泊まりがけで出かけるスキーは中学に上がるまで続いた。電車の中で、伯母さんが持たせてくれた檸檬の輪切りの砂糖漬を「洒落たおやつ」と思いながら初めて口にしたときの驚き、そんな味と香もスキーの思い出として伯父さんを偲んでいるうちに頭の怪我の話になった。サーカスではあるまいし、3人して交代ばんこで木製のケーブルドラムに乗り転がして遊んでいるうちに調子づいた家人は平地ではなく段差のある庭の階段に移動した。両足を乗せ転がした初っ端にコンクリートに頭をぶつけた。パカッと頭が裂ける音がしたのだそうだ。救急外科で頭頂の縫合処置をしてもらった。なんと他にも頭に怪我をして縫った傷があると言うではないか。話は我が身の粗相話に展開した。江戸川沿いで水切りをしているときに友達の投げた石が後頭部に命中。その時はコツンと音がした。他にはローラースケートをイメージして上履きで廊下を滑っていたとき柱の角に側頭部をぶつけた。その時はゴワンと音がした。聞いているうちに、結婚して暫くして郵便ポストの角に頭をぶつけて怪我し数針縫ってマスクメロンのようなネットの包帯をしていた姿が急に思い出された。笑いが醒め伯父への深謝に重ね情けなくなった。大人になってからの怪我は私が知るだけでもスキーで肩の脱臼、ウィンドサーフィン時、足裏をガラスで切る怪我での縫合処置。同じくウィンドサーフィン時に足親指の爪をはがしたこと。芋づる式に出てくる粗相はやまない。
昨夜の家人の夢話。ウィンドサーフィンをしていて海上で迷子になりとりあえず最寄の陸に上がった。現在地を確認したく誰かひとを探すのに道具をそのままにしてその場をはなれ戻ってみると道具一式が消えていた。夢の中の家人はそこで、今度道具を揃えたら目立つ色のペンキを塗ろう!と固く思ったのだそうだ。懲りない怪我にも、こんなストーリーの展開にも不意をつかれ息をのむばかりで、つくづく互いに別個であることに呆然とする。日々の多文化共生はこれからも続く。


