2025-09-10

喪心

放っておくと散漫になりがちな心身を整えたいようなとき、なんとなく出向く場所の一つに北のアルプ美術館がある。七回忌の父の法要には参加せず時期をずらして里帰りすることに決めてから、父のことよりも父の生まれ育った山あいの柿、栗、柑橘類の木が点在する里山、川と蛍、彼岸花の風景が繰り返し去来した。そんな矢先の北のアルプ美術館への道中、車窓から見渡せる広い空と同じく広大な畑、その背景に聳える斜里岳の雄大な風景は、外国に来ているかのように思わせた。異邦人ここちで入館し記帳する。この美術館は山の芸術誌『アルプ』に等しい。美術館を設立した故・山崎毅さんがひとり故郷を離れ遠く最果ての町の本屋で働き始めた頃のアルプとの出会い、誤配達が招いた遭遇からしてその後の山崎さんの運命を暗示させる。『アルプ』は1958年に串田孫一が尾崎喜八とともに創刊し1983年300号をもって終刊した山の文芸誌だ。串田孫一は終刊号で「自然破壊と機械文明がもたらす人間の心の歪みに対して、文学や芸術がいかに無力であったか」を語った。哲学者、装丁家、画家、仏文学者、散文詩の作者、音楽そして山の愛好家として幅広い見識と才能の持ち主。専門家を気取ることも、単なる趣味人をさらすようなことも潔しとしない、ふだん慎ましやかな串田孫一の人をして言わしめたそんな痛恨の念は苦く息が詰まる。アルプとともに人生を歩んできた読者、とりわけ山崎さんの喪失感はいかばかりだったことか。しかし、「アルプの血が流れている」と自認する山崎さんはアルプへ人生を掲げるがごとく立ち上がった。9年後には将来世代に語り継ぐべく遺産としてアルプに関わった作家たちの作品や展示物を収集する美術館を開設した。一読者に過ぎなかった、たったひとりの「思い」が芽生え結実するまでの軌跡と奇跡。何度辿り直してもこころを打つ。
帰り道、禿山があらわになった不自然な山肌の風景に目が止まり暗然とする。雑誌自体のアルプが挫折してすでに40数年、いまや開発と破壊の区別をなくし「投機」に公的資金がばらまかれ、目先の儲け話への投資を促す。かつてこの地でキムンカムイ(山の神)として崇められてきたクマの再三の出没は経済的にも環境負荷的にも倫理的にも合理も道理も欠いたそんな不毛な行いに対する戒告、ウェンカムイ(悪い神)の現れかもしれない。いや、人間よりも遥かにたしかな本能で存在するクマは存亡の危機に先んじて生存圏の拡大に踏み出しているのかもしれない。


2025-08-04

healing

梅仕事を終えてからのルピナスや西洋菊の初夏の風景はあっという間に消え失せた。いわゆる「危険な暑さ」ではないものの美留和では暑さよりも高湿度による不快さとアブの大群への対策に追われている。蚊やブヨばかりか隙を狙ってアブにまで刺され泣き面に蜂のあり様は患部が腫れ熱を帯び痒みがピークになってからもしばらくは尾を引く。高温と高湿度は夜の暗闇に蛍を誘い、庭のアナベルは例年になく大輪の花を咲かせた。ブルーベリーとハスカップも早く実った。涼し気な花に淡い期待を寄せ植えた朝顔は簾に見立て斜めに張った麻紐に巻き付いてぐんぐんと伸びる。自然に委ね適応しながらどこまでも繁茂する草草の生命力には何度もおののく。植物たちの次元にはまったくもって及ばずとも、異常な暑さを自然現象のひとつとして受け止めどうにか対峙し工夫しながら対応策を考える。
対峙と言えば、自然現象ではないものの環境を取り巻く電波空間のカオス、膨大な情報量との付き合いには根気を要す。あたかも再生回数欲しさ故のゴシップ類や惑わし、だまし、脅しなどの罵詈雑言、ある意図や悪意をもって巧みに誘導したり不安に陥らせたりする言説とは別に、「情報」と冠した取材なしの、または検証することもなしに言葉尻や切り取りに飛びつき一部分だけを短絡的にとらまえて見当外れの解説や言説の独り歩きには手をやく。AIも手伝ってか大混乱の電波空間と化し時間も体力気力も簡単に奪われる。東洋哲学の陰陽互根を持ち出さなくても、すべての物事は立ち場立ち位置によって長短が変化する。そもそもインターネット技術はデュアルユースだし、核技術も半導体も医薬品もしかり。アナログとデジタル、ナショナルとグローバル、保全と開発、所与と選択、排除と包摂、現実と理想の間に壁ではない開け閉め可能な扉を作って行き来するように偏りを調整できないものか。正義の表明や政治参加の原動力が憎悪、妬み、恨みなどの負の感情によるならば、個人レベルでも社会、国家レベルでも癒すことなしには中庸に立てないだろう。精神分析のカウンセリングセラピーのように過去に遡り、どんな所与、宿命のもとにどういう道を歩んできたのか、来ざるを得なかったのか注意深く観察するように、社会や国レベルでは背景にある歴史、政治、経済、宗教、価値観に至るまでの文化人類学的視点をもって捉えなおしてみることはヒーリングのひとつになるかもしれない。偶然にも文化人類学の学問を生業として来られた高齢の女性とのご縁があった。約60数年前に女性が学問で、しかも「文化人類学」で身を立てるという、当時はまことに稀有であったであろう経歴にも大変興味を抱くのだが、恵贈頂いた著書を読みながら彼女の専門のグアテマラやホンジュラスにしてもナショナルとグローバルの不均衡を発端とした問題がすでに起こっていたことは古くて新しい今に続く共通の問題として理解をする。


2025-07-06

つぼ半

一学年の生徒数が数百人を超えていたらしい70年前の弟子屈中学校では園芸部に所属していた友人はとりわけ道東の動植物に造詣が深い。幼少の頃からずっと山、川、湖を遊び場にしてきた年季の入った観察眼を持つ友人を師匠と呼び慕い門前の小僧を地でいく家人はカッコウが鳴き始めるよりも随分前から畑の準備を開始していた。「育児放棄」の指摘に、言葉自体が持つ強度のせいなのか何なのか、その言葉が私に向けられてからは簡単には畑に手を出すまいと戒めてきた者にとって、畳1畳分くらいの慎ましやかな広さとお勝手口のすぐ鼻先にある場所、そこで土いじりをする家人の姿は、落ちこぼれて硬くしていた思考を緩ませる。畑のことばかりでなく、家周りのあらゆることを時々やってきては指南する師匠と並ぶ二人の姿はさらに健やかで笑みを誘う。畑のことは、カッコウのようにすっかり托卵をするつもりもオシドリの雄のように子育てを押し付けるつもりも最初から毛頭もなかったのだが、いまだに宿業や諸々で手いっぱいの育児困難のしばらくは家人に託そうと思う。今年仕込んだ梅シロップをソーダ水で割った飲み物を差し入れながら二人の蛇やカエル話に加わる。7月になったばかりの美留和でまさか、こんなに冷たい飲み物を欲するとは、子供の頃の九州の夏の午後を思い出しながら、ガリガリ齧った氷の粒をスイカの種に見立てぷっと飛ばした。