2024-01-05

負債

アルバムを開くとすぐに、母に抱かれて眠る赤ん坊の写真。余白にブルーインクで「生後18日」の文字が添えてある。生まれて間もないある限られたひとときの、母子一体の時空は神秘性を帯びる。こちらの目で触れることさえためらわれるほど清く、美しい。人の子は産んでもらっただけでは酷く弱く不能で、親や親に代わる誰かの世話なしにはこのか弱い命が保ち育まれることはあり得ない。そうやって人の子は与え続けられてようやくやっと歩けるようになる。振り返ってみても、つくづく、親の無償の贈与には感謝の言葉しか思い浮かばない。同じ目線で喜び悲しみ、そして励まし続けてくれた。与えられれば与えられるほどより自由になった。遺されたこのアルバムには、頭に包帯を巻いた姿、顔や膝っ小増にかさぶたをつけて、しかもむくれっ面で写る悪ガキまで、幸福な子供らしい生命力あふれる幼少期のさまざまな物語が詰まる。



それぞれの時代に(そして/または、それぞれの家庭に)固有の問題や偏見はついて回るが、どの時代も多かれ少なかれ苦労しながら親が子に与え、もらったその子がまた親になって子に与える・・・が繰り返されて今の私が在る。どんな時代であろうが当たり前のこととしてふつうに繰り返されてきた、上の世代からもらったものを次の世代に渡してゆくこと、身の回りの小さなことで言えば、例えば言葉だって、上の世代からもらったものだ。父や母が、どんな態度でどんな言葉をかけながら育ててくれたか、ある折に送ってくれた、今の私よりも年かさの少ない親からの手紙の中の言葉と対話するとき、際限のない想いに身を委ねるほかなくなる。


2023-12-06

理解に届けないこと

娘でもおかしくないほど歳のはなれた友人とのやりとりで、同時にかつての若い頃の私自身にも耳をかたむけているとき、高校生の頃の現代国語の教室の風景が思い起こされた。教科書に書かれていたのは雑誌や新聞など普段それまでに触れることのできた類の読み物にはないようなある批評論集から抜粋された文章が載っていた。地と文、つまり文脈を意識して読む練習をしたことのない私にとっては意味が分かる分からない以前に、日常の瞬時に消えゆく話し言葉とは違う言葉の連なりよって象られてくる表現があることにまず驚き、またそれを語る案内人の国語の先生の雰囲気に魅了された。先生の声は大きすぎず小さすぎず、何かを教えてやろうという教条主義的な態度は微塵もない。まなざしを遠くに馳せ、ぽつりぽつり言葉を選びながら全体的にはゆうゆうとお話になる先生だった。湾曲した趣ある松の木をイメージさせるような、どうみても体育の先生でも社会の先生でもありえず、音楽か美術の先生に見えないこともないけれども、やはり国語の先生がピタリとくる風雅な佇まいだった。内容は簡単に理解できなくても、その先生の話を聴いていると、何かとても精神のようなものにとって大事なことであるような気がした。あのときの教室が私にとって精神の地誌の始まりだったように思える。立ち方や歩き方を修正する機会を逃し、自己流で歩くことに重きをおきすぎて随分と遠回りをし寄り道をして今に至るようなところがあって、若い友人に対し即効性のある気の利いたことは示せない。しかし、目の前に苦しむ人が現れたとしたら誰であっても理解に努めようとする。相手に代わることはできないけれども考えやこころを巡らすと思う。理解できないことと無理解は違う。他者にそっくりそのまま理解されることは不可能だけれども、人でなくても何かとの出会いや交わり、対話が自身の背中をポンポンと叩いて落ち着かせ、さすり温め、そして押してくれることもある。

母と同じくらい年上の友人が目の前に現れた。顔全体の皺が苦しみを現わしている。フラフラとしながら自身でえんぴつ書きした数個のメモを前にして頭が混乱し時間の流れが分からないと言う。ほとんどシミのない白い皮膚がよじれて苦しみを作る顔の右目の外眼核に目脂がべっ甲色に固まっていた。それは目尻からこぼれ落ちる涙の形をして色白の肌に映えた。合理が通用しなくなる高齢の認知機能の低下からくる不安と怖れが和らぐのをしばらく待つ。記憶が80分しか持続しない数学者のように、いくつものメモを握りしめたままフワリふわり彷徨いながら戻っていく老嬢の後ろ姿に海風に吹きあげられ枯れゆく松の古木を重ねる。


2023-11-03

再編

「HECHO A MANO」と記され、この地域の風物詩とも言えるモチーフをあしらった「手作り」カードは、40年前に送り主が結婚式を挙げたボリビアで購入したという。添えられたメッセージは今に続く時間に深みを与える。彼女のフィアンセが当時勤務していた富士山と同じ標高の街、首都ラパスでの高山病も若い頃の思い出として綴られる。ご主人の仕事柄海外での暮らしが長いだけでなく、彼女自身も語学を専門として勉強したこともあってか、英語以外の第二外国語をしっかり勉強した方々に共通する語彙の豊かさと確かさはもちろん、時と所によっては短い会話だからこそのリズム感や韻のセンスは気持ちを弾ませる。あるとき、何の会話の流れだったのか忘れてしまったが、彼女が家人に対し「骨が美しい」と言ったことがあった。とある国では骨の優劣が結婚相手の決め手だとかいうまことしやかな話が落ちだったように記憶しているのだが、別のところでは「歯がきれい」と言われたこともあった。振り返ってみて、いまさらながら上等な誉め言葉としてありがたく受け止める。また、学校での家人の素行に大変苦労をしただろう亡き義母からの唯一の誉め言葉である「口がきれい」。母曰く、おなかいっぱいでもつい目がほしくなる私たちと違って欲しがらないという意味での「口がきれい」。要するに骨と歯が丈夫で、食べ過ぎることのない極めて健康体ということだ。ついでに、身近にいて健やかさを称えたくなるのは、国内外問わず食事で出されたものは何であってもえり好みすることなく食すほどの礼儀正しさを持ち合わせているところだ。私にとって、少食でも過食でもなく、美食や偏食でもない家人のこの普通さは、「食」に携わる者に対し信をおく重要な点でもある。

今晩の来客は歯医者で家人の口腔内のみならず、健やかさを持て余していた頃の、好奇心旺盛と言えば聞こえはよいが、煙草や酒、ディスコ通いなどのもろもろで謹慎処分を喰らった真相を知る中高男子校時代の同級生。語り手を変えての思い出話は、違う角度から光が当てられ、またひとつ物語がうまれ変わる。これまでをほどいて、カード上のミニチュアのchuluのように細部までを精巧に編みなおすかのように耳を傾ける。