2025-05-04

巡り廻る恩恵、春にて

陽光が高くから射すようになり辺りの風景を眩しくする。福寿草とふきのとうはとうに過ぎ去り、一夜にして現れたような沢の水芭蕉の大群が幅をきかす。季節が廻ると決まって顔を出すという筍とタラの芽がお願いしていた琵琶の葉とともに実家から届いたのを皮切に、釣師猟師の友人からはそれぞれ鰊と鹿角、東海の友人からは苺、師匠と呼んで慕う地元の友人からは行者ニンニクと山わさび、年を通してハウスで栽培しているというほうれん草などの青物野菜が届けられ、頂きものでにぎやかになる。この時季特有の、行き急ぐような時の流れにうまく乗れずに重たかったお尻にスイッチが入る。筍はご近所さんにもおすそ分け、タラの芽はてんぷらに、琵琶の葉はビワの葉エキスに。鰊は三枚におろして小骨を処理して焼いて頂く用と、麹に漬けるもの用に。鹿骨は幼馴染宅の犬の歯固め用に配送、家人の木彫りのアクセントに。苺はそのまま頂き、そして新鮮なうちに大福やタルトにして友人へ。行者ニンニクは天ぷらと醤油漬けに、ほうれん草はサラダとお浸しに・・・など、待ってはくれない旬の恵みを前に手と体を動かしているうちに心身が調整されてきたそんな矢先、カヌーの誘いを頂いた。古い友人でもある水先案内人に身をあずけた船上では、目、耳、鼻、皮膚、五感が自ずと拓く。風を切りツーっと直線の跡をつけて滑るカヌーは日常を遠のかせ日頃の使い古してしまった言葉と感覚、感情さえも一掃してゆく。風に揺らめく水面の光と水音、カヌーの鳴き声とでも言おうか、水面を滑るそしてパドルが差し入れられるときの振動と水音、クマゲラ、オオジシギ、オシドリ、ワタリガラスの鳴き声、羽ばたきの姿と音。空、藻琴山と屈斜路湖、釧路川の雄大な景色の中に溶け込む私たち。下流に向かい流れゆく川の水に一刻一刻過ぎ去る時の流れが重なり、それらは二度と戻らないし戻れないことを意識させる。日常と非日常のあわいで、しかし、普段の居場所からひとつながりの歩いて来ようと思えば来ることのできる所に別世界の入り口があることにまたしてもはっとする。命が循環して次に、いやもっと輪廻したあとに生まれなおすのだとしたら、ここらの藻類のように捕食される始まりの沈水植物になりたい・・・と、こんこんと湧き出る泉、まさしく釧路川源流でのカヌーの揺蕩いは原初の生き物に還ってゆくイメージをも抱かせる。


2025-04-03

こころのふるさと

編みかけの縫い物、ハサミ、手編の帽子、ハーモニカ、マフラー、オカリナ、b4の鉛筆・・・など時々のリクエストに応じ、しばらく家主不在になっている彼女の自宅から探し出して届ける。どう説明していいか分からないけれども時間の感覚が変なの、と不安気に話すようになったが体になじみ愛着あるそれらを手にした老女は、それ!それ!と抱きしめる。時間や言葉で記憶が辿れなくなっても彼女とともに時間を刻んだモノたちは何らかの力を与える。ほかには、テレビやラジオ、新聞を通じ興味を抱いた書籍なども彼女の内面を活性化する。先日要望のあった唱歌集は絶版になっていることが判明した。以前、自費出版のある絵本がどうしても手に入らなかった時の彼女の落胆ぶりを知っていただけに、どうにか入手できないものか古書店をあたったおかげで、幸運にも状態の悪くないものが届いた。それは思いのほか、彼女の元気とでもいうか彼女らしさを呼び起こした。ほら、音符も書かれているからいいのよ、あなたでも歌えるわよ!とパラパラめくるごとにワンフレーズ歌う。蛍の光や仰げば尊しなど西洋の曲に日本語の歌詞をあてて作られた曲や、江戸時代から歌われているけれど作者不明のかごめかごめなどの童謡、軍歌のようなもの、明治初期に作られた大学の校歌まで彼女は歌えた。言葉や合理に依らずとも枯れそうな身体の奥深くから時々そうやってふわーっと現れ出る生きて培った彼女の時代の時間と経験の再現に驚く。楽譜はあっても彼女のように自由に読めない私でも学校で習い口ずさめる「花」を、彼女はソプラノで、私は音符を追いながらアルトで合唱した。


2025-03-01

終わりの始まり

親一人、子一人の食卓でのやりとりに水を差さぬよう、義母の定席だった義父とは向かい合う位置に黙って座る。手の震えのせいばかりではなく男性特有の排尿のトラブルから床を汚してしまったり、食事時にうまく口にスプーンを運ぶのさえも大仕事となった父は「倅に迷惑かけるなあ」「あとは倅のことだけが心配だ」と漏らす。それに対し倅は何とも言い出せない。言わせっぱなしにさせることを避けたいだけでなく、大げさに言えばこうやって面と向かって話が通じる奇跡のような時を逃してはいけないような思いが沈黙を破る。「やんちゃな倅はお父さんにずいぶん心配をかけて、その借りは返せてませんし、それに心身ともこんなに健康に育てて頂いたので、もう心配はいりません。安心して迷惑かけてもらっても大丈夫ですよ!」と伝えてみる。そうすると「親はいつまで経っても子供のことが心配なものだ」と誰にともなくつぶやく。こんな時、「親」である人たちの思いの深さに打ちのめされ返す言葉などない。美留和に移住したばかりの、親が今の私たちの年齢でまだ元気だった頃の、宿業で生計を立てるのに自分たちのことばかりで精一杯だった日々からイラク戦争を経て3.11、その後の幾多の自然災害やコロナ渦、そしてあらたな戦争で語られる言説に何とも違和感を拭えないそれらは都度、美留和での暮らし方や生き方を考えさせられ修正する契機になってきたように思えるが、同時に直面している父の老い、介護はより具体的に今の、そしてこれからの自分たちの生き方や住まい方を問う。

実家と美留和の往復のさなか、理科の先生でもある知人が雪の結晶の画像を送ってくれた。中谷宇吉郎の「雪は天からの手紙」の言葉を添えて。十二花の珍しい雪片なのだという。こんなにも小さな世界に閉じ込められた造形美に驚き、ときめく健全さを失わなければ、自分の身に起こる大抵のことは不思議と平気な気がしてくる。それにしてもミラクル、Sense Of Wonder!