2021-09-24

「普通」の音

五行論の五音である「角 徴 宮 商 羽」が順にミソドレラの音に対応するということを目にしてからというもの、その他の五行の相生や相克の関係性を考えるときに音の響きが重なる。音の感覚が加わると不思議と身体ばかりでなく対象に奥行きが立ち上がり、それらの関係性が命やエネルギーの流れの中で互いに互いを成立させる止むことない動的平衡をイメージさせる。相性の関係は母から子への音色に移行するポルタメントのようで、また相克は分散和音として耳に届いても、オーケストラレイションとしての身体の中においてはノイズを含む複雑な倍音まで、音と音間のすべての音が動き響き合いながらバランスする、そんなことを考えているうちにふと、20年くらい前に訪れた石川県の音響にこだわったという音楽堂で耳にした生のバイオリンの"port de voix "の、すっかり忘れていた音の記憶がよみがえった。その語源「声を届ける」を知った当時は単純に感銘を受けたものだったが、再び思い起こした今ではその声は音の波であること、その波数は、生きた心身の隅々にまで届き反響し合いながら調和する作用があることを納得する。身体という楽器が共鳴し奏でる声にとっては「普通」の音を阻害するような不自然な波、例えばある種の光の波などからうまく距離をとることが調律師としての各自の務めかと思う。


2021-08-11

盂蘭盆会

気候変動の影響に重ね年齢に伴う体質の変化も合わさってか、南国で育った幼少時の皮膚感覚が不意に反応する。髪の毛や肌着がじっとりと体にくっついていない部分を狙う蚊の鳴き声と共に真夏の夕暮れ時の感覚が飛び出てきて、ここが北東の端であることに驚く。祖父母を始め大人たちは灯した提灯を片手にお喋りに花咲かせ、子供たちは焚かれた蚊取り線香の煙を浴びながら小高い丘の上にあった墓地を目指した。火葬の過渡期だったかと思うのだが、その墓地の仏様たちは大半が土葬で眠っていた。お墓では大人たちのお喋りのトーンは抑えられ信心深いふるまいに変わった。
時代が下り、実際のところはよく分からない現行の感染症、とりわけ予防効果はないけれども、感染したときにもしかしたら症状を軽減できるかもしれません、というおみくじのような対応策との関連性は不明なものの、お亡くなりになった多くのご遺体の対応に間に合わないらしい米国では州によっては新しいやり方の水葬で葬られるそうだ。動物の排せつ物や遺体処理技術の転用だ。いつかは土に還り、水に還り消えていくものだけれども、何かに捕食されながら還ってゆく従来通りの水葬ならば気持ちに沿うアナログ体質な者にとって、薬剤で溶かし水に流してしまうというアクロバット的な芸風は落ち着かない。亡き義母や父の火葬のあの日から時が止まったような感覚が残るのも、亡骸に宿る時間をどこかに追いやってしまったからなのだろうか。


2021-04-30

button

いつしか「おふくろ」と呼ばれるようになったらしい妹からの春の便りに制服の第二ボタンとネームプレートが同封されていた。少年Jが中学を卒業し高校生となった。ある事情で母親と離れて暮らさなければならなくなった赤ん坊を抱かせてもらい夜の外に連出し、お披露目をするかのごとく星空に向かって「新参者です、よろしくー」と即興の子守歌に時々モロー反射で応えるJとの記憶はちっとも色褪せていないせいなのか15年の月日の流れに実感が伴わない。あのおちびさんがいったいどんな抑揚で「おふくろ」と呼びかけているのか、Jの手書きのお礼状の文字を幾度読み返してみてもちっとも想像がつかない。いずれおふくろも卒業して独り立ちしていくことは分かっていても親がいつまで経っても親であるのに似ていて、少しだけ先に生まれ先に死んでゆく者としてのまなざしと距離感はそうそう変わるものでもないらしく、いつまで経っても私にとってのJは玉のように美しい赤ん坊のままだ。

母や私に、もっとそっと抱き上げるよう合いの手を入れるようになり、無骨とばかり思っていた父の本質を目の当たりにし理解に近づけたのもJの誕生のおかげさま。第二ボタンとネームプレートは父の遺影の横に置くことにした。