2022-02-19

初月忌

真夏の、美留和ではそでを通すことのなくなったノースリーブの黒いワンピースを着て私たちの友人が眠る瀬戸内海が遠くに見渡せる小高い丘に向かったのは10数年前のこと。久しぶりに再会した彼は父として夫として、そして企業人として各々にこころを砕き穏やかにつつがなく暮らしている様子がみてとれた。そんな彼が2年前、突如闘病生活に入った。病名にしても時々知らされる経過、彼の地位、取り巻く環境からしても最先端医療技術での治療中であることは想像にたやすかった。まだ寡占化などされていなかった古き良き日本企業の成長時代に薬物動態の専門研究員として入社し長年勤め部下を束ね育てる立場になっていたほどの彼だから抜かりがないことは分かっていても先端医療以外の選択肢としてエビデンスをもつ代替医療があることを言わずにはいられなかった。代替医療を行うか行わないかは問題ではなくお守りではないが、いざというときの頼りになる切り札を持っておくことが重要に思われた。
訃報が知らされたとき、友人を失ってしまった戸惑いよりも妻のMさんの深い悲しみが押し寄せた。言葉にならない思いの塊が胸の奥につかえたまま津村節子や須賀敦子作品の言葉や情景ばかりが繰り返し思い起こされた。禁煙禁酒ならず禁読ではないが、とある資格試験を目前に勉強中である身にとって専門書以外の本を読むことはためらわれないわけでもなかったが、気持ちの流れに逆らわずに彼女らの作品をたびたび手に取った。死別に際し晒すにしても沈黙するにしても表現方法の違うそれぞれの作品の行間に現れる感情や精神に触れることが彼やご家族に対する喪の服し方にふさわしい気もした。彼らの結婚式のときに配布されたテレフォンカードに記された「二人は一人に勝る」の言葉はMさんの寂しさを際立たせる一方、彼のことだから大切な妻や家族に向けて真情を語るとき、彼自身がその言葉にどれだけ励まされていただろうことも確信する。彼に対する敬意とねぎらいの気持ちが回り巡ってMさんやご家族のもとに届きゆるぎのない力となりますよう。合掌


2022-01-03

時間

友人から届いたポストカードの、ファインダーごしに見つめるロベール・ドアノーのまなざしの遠くに漂うシモーヌ・ド・ボーヴォワールひとりきりのやや張り詰めた静けさは新年にふさわしい。
整理整頓された亡き義母の着物のひとつを取り出し広げてみると、家族写真よりも彼女が生きている間心身を包んでいた空気感がより一層生々しく立ち上がる。伝統工芸と呼ばれる技法そのものが形成されるに至る幾世代ものときに匹敵する時間が重なり空気が奥行を帯びる。写真や遺品を前にしていつも呆然としてしまうことは、消えてしまった時間がそこにあり見ている今も刻々と失われていくという単純な事実。
時間も場所もバラバラのモノやコトがさまざまなご縁で引き寄せられ象られていく関係性は、時間とは別次元の個々人のこころに積もってゆく。日常の何気ない、もしかしたら意識から取りこぼされてしまう小さな出来事や変化でさえも、かけがえのない奇跡であることを繰り返し思い起こす1年としたい。


2021-09-24

「普通」の音

五行論の五音である「角 徴 宮 商 羽」が順にミソドレラの音に対応するということを目にしてからというもの、その他の五行の相生や相克の関係性を考えるときに音の響きが重なる。音の感覚が加わると不思議と身体ばかりでなく対象に奥行きが立ち上がり、それらの関係性が命やエネルギーの流れの中で互いに互いを成立させる止むことない動的平衡をイメージさせる。相性の関係は母から子への音色に移行するポルタメントのようで、また相克は分散和音として耳に届いても、オーケストラレイションとしての身体の中においてはノイズを含む複雑な倍音まで、音と音間のすべての音が動き響き合いながらバランスする、そんなことを考えているうちにふと、20年くらい前に訪れた石川県の音響にこだわったという音楽堂で耳にした生のバイオリンの"port de voix "の、すっかり忘れていた音の記憶がよみがえった。その語源「声を届ける」を知った当時は単純に感銘を受けたものだったが、再び思い起こした今ではその声は音の波であること、その波数は、生きた心身の隅々にまで届き反響し合いながら調和する作用があることを納得する。身体という楽器が共鳴し奏でる声にとっては「普通」の音を阻害するような不自然な波、例えばある種の光の波などからうまく距離をとることが調律師としての各自の務めかと思う。