2005-08-18
槐(エンジュ)のワインカップ
槐(エンジュ)のワインカップ。槐は「延寿」という漢字でも表わされ、文字通り長生きやおめでたい思いを込められた樹木のこと。久しぶりに再三足を運んで下さったお客様が「今晩はこれでお酒が飲みたくて・・・。」とお持ちになったもの。アイヌコタンのお店で見つけ購入されたとのこと。一本の木を丁寧に削り、丁寧に磨き、手造りされたであろうワインカップに見入ってしまった。まるで模様であるかのようなしっかりと刻まれた年輪を見つめていると、人の手にかかる以前の樹木の時の長さを思わされた。小さなワインカップに奥行きが合わさり、なんて贅沢なカップなんだろう・・・と厳かな気持ちになった。一からこのカップを作ろうと思うと何十年も待たなくてはならない。少なくとも太陽と大地、空気と水と時が必要で、そう簡単には作り出せない。木に囲まれ、木に触れ、落ち着いたり安心感があって心地良く感じるのは、もしかして『木のもつ時の長さ』なのかもしれないと思った。木や森のもつ時の長さには足も及ばないけど・・・木に習って人も時を重ねる、年を重ねる、ということは実は奥深くて凄いことなのかもしれないなあ、とぼんやり思った。なぜか急に祖母に会いたくなった。亡くなった祖父母の顔も浮かんだ。足がたまたま槐の、宿主がデザインし作ってもらったテーブルの席で、少しのお酒を大切に楽しんでおられるお客様の様子が宿の建物じゅうの木の模様(年輪)に融合するかのような心地良さが拡がるひとときとなった。


2005-06-19
美留和大運動会
緑の初夏の季節の只中、美留和小の運動会が催された。全校生徒17人の美留和小は地域の大人たちも参加して一つの運動会を作り上げる。今年も仕事の都合上きっと参加できないだろうな・・・と諦めていたのだが急遽時間が取れ初参加出来ることとなった。しかも、宿主は100mの選手を引き受けることとなり、もう、これは張り切って応援に行かなきゃ!と朝早くからお赤飯まで炊いた。1位の入賞を予想して。ホントは気持ちばかりが空回りして足のもつれるお父さんたちがいるが、どうしてもああなってしまう宿主を想像してしまい一人笑いをこらえながら、でも、怪我しなきゃいいなあ・・・とも思いつつお弁当を準備した。全校生徒17人の入場行進が始まり、低学年になるにつれ頭のてっぺんからつま先まで使うようなひた向きな行進の姿を眺めただけで、ああ、今日観に来れて良かったあ・・・とじんとしてしまい、1年生の男の子と女の子二人での選手宣誓を聞いたらさらにウルウルしてしまうほどだった。さて、宿主の100m疾走はまさかと思うほど絶妙なぴたりのタイミングでカメラを構えている目の前で忍者はっとりくんが回転レシーブをしたかのように転がった。多分本人も観戦していた皆も何が起こったのか分からないまま気がつくと再び走り出した宿主の背中に声援を送った。派手な転びに相当する分の腕肩腰の擦り傷に苦笑し、何かに躓いたわけでもなく、ただこころに体が着いていかなかった・・・と照れ笑いした。全力疾走なんて高校生の頃以来・・・指折り数え約四半世紀ぶりであることに愕然としながらも、何だか妙に納得もした。一方、小学生の体にこころがうまく乗っかったのびのびとした一生懸命な走りは観ていて気持ちよく安心もできて何度も静かに感動する一日となった。




2005-05-27
摘み立てクレソン
見渡す風景の配色に若葉色の割合が日に日に増してきた。ついこの間まで木の枝だけでもそれなりに形を成し景色にうまく溶け込んでいたはずの樹々が、今ではすっかり違う木に生え変わったように細かい若葉の薄い緑色に覆われ、新しい風景が拡がり始めた。宿の庭も草の緑の中にたんぽぽの黄色、ミントなど個性的な形をしたハーブ類、そして、えんぴつのようなチューリップが芽を出した。沢ではクレソンの濃い緑色の割合が増え始めた。今年初のクレソンを摘みに行った。湧き水の中に自然に育つクレソンの瑞々しい感触を目でも匂いでも指先と手のひらでも感じながら丁寧に今晩のお客様の分を摘み取った。摘み取りながら食してみるよう宿主に言われ、まさしく採り立ての初物を頂いてみた。口の中にクレソンのピリリとした爽やかな風味と水の美味しさとしゃきしゃき感で、身体のすみずみの細胞までに力を持つ水が届くような気持ちになった。美留和の風土で自然に育つクレソンだけに身体に馴染まないはずはないよなあ・・・と呟きながら、摘み立てのクレソンをそのまま口の中にほおばることのできる環境にいられることが何だか急に尊く感じられ、美味しさと安心感、うれしさとありがたさの混じった気持ちをかみしめた。


