2005-10-11

紅葉の始まり

美留和はどこまでも高く青い秋の空が拡がり、冷ややかな空気も美味しく、陽の光に反射して遠くの山々の紅葉し始めた鮮やかさが日に日に増しつつある。買出しに行く途中、寄り道をして池の湯林道の紅葉を真近に覗いてみることとなった。今年は9月が暖かかったということで例年よりも紅葉が遅れているとのこと、丁度始まったばかりの全体的には2~3分というところだった。先取りして真っ赤やオレンジ色に変化した数少ない木の葉は余計に際立ち、毎年見ているにもかかわらず、やはりこの時期に実際に真近に目にすると、繰り返し新鮮で、目の覚めるような自然の鮮やかさと営みに言葉を探せないまま、それを越える漠然としたもの、当たり前のことだけど、地球が動いてる、時は確実に流れてる・・・等のようなことを実際の感覚として感じ取れそうな、そんな気がしてきた。季節の移り変わりをゆっくりとリアルタイムで見て感じ取る環境にいられることを思うと贅沢な気分に包まれた。もし、今年の紅葉の真っ盛りに機会とタイミングが合えば、おにぎりとサンドイッチを持って、もう一度この道を散歩したいなあ・・・と話を盛り上げる宿主だった。宿の周辺も多くの緑があるが、山の中の空気はやはり匂いも酸素の密度も違う。言葉通りまさしく森林浴。紅葉のおまけのついた森林浴のシャワーを浴びることのできるこの季節に今年も再び巡り合えたことをうれしく思う。


2005-09-04

シゲチャンランド

かなり前から気になり行きたくてずっと温め続けていた場所のひとつだったシゲチャンランド。繁忙期の中休みの今日、ついに行くこととなった。シゲチャンランドは立体作家、大西重成さんの作品を展示してある独創的な空間が点在するギャラリースペース。夏の終りの色合いと匂いのする阿寒の山間の景色は、これからしっとりと秋の気配に移り変わりつつある季節の流れに急ぐでもなく遅れるでもなく静かに時を刻んでいた。一方、車内ではワクワクするはやる気持ちに押し流されそうになる度に、車窓から感じ取れる静かな空気の流れに足並みを揃えるかのように気持ちを落ち着ける道中だった。ギャラリーでは全ての作品がいちいち楽しくて、うれしくて、いとおしくて身体の奥にはじける思いが拡がった。思わず出てくる言葉は「参った~」「くらった~」「しびれる~」の繰り返し。文字通り、気持ちがくすぐられ、こころが自由になるときの心地よさが体感できる空間がそこには拡がっていた。そこは懐かしい自分だけの宝物がたくさん詰まっているような空間でもあった。長い時を光と闇とあらゆる自然の中で漂流していたであろう流木が、小さな米っ粒が、愛嬌のある形をしたピーナッツやひょうたんが、かつては紅茶の入れ物として成していた缶が、今では踏み潰されうらぶれてしまった数知れない廃材たちが、生き生きと、黙々と、うぎゃうぎゃと、ただただ存在していた。決して擬人化するつもりではないが、それらの存在は不自然なのにより自然で非現実的なのによりリアル感を伴って、自分たちと対等に存在するように思えた。そして何よりも、既成の概念や思いや形や言葉のさらに奥の部分で、外から刷り込まれることのない大西さんのこころのフィルターを通して創造された作品たちは本当に自由で潔く気持ちがよかった。

EyeHouse に存在する人間ほどの大きさの流木から成るオブジェのひとつ

NoseHouse の一側面に広がるアートな空間、鳥の羽、ライター、スポンジ、びんの栓、巻尺、アイスの木のさじ、歯ブラシetc・・・

LeftHand&RightHandHouse 前のひょうたんおやじと大西重成さんと宿主


2005-08-18

槐(エンジュ)のワインカップ

槐(エンジュ)のワインカップ。槐は「延寿」という漢字でも表わされ、文字通り長生きやおめでたい思いを込められた樹木のこと。久しぶりに再三足を運んで下さったお客様が「今晩はこれでお酒が飲みたくて・・・。」とお持ちになったもの。アイヌコタンのお店で見つけ購入されたとのこと。一本の木を丁寧に削り、丁寧に磨き、手造りされたであろうワインカップに見入ってしまった。まるで模様であるかのようなしっかりと刻まれた年輪を見つめていると、人の手にかかる以前の樹木の時の長さを思わされた。小さなワインカップに奥行きが合わさり、なんて贅沢なカップなんだろう・・・と厳かな気持ちになった。一からこのカップを作ろうと思うと何十年も待たなくてはならない。少なくとも太陽と大地、空気と水と時が必要で、そう簡単には作り出せない。木に囲まれ、木に触れ、落ち着いたり安心感があって心地良く感じるのは、もしかして『木のもつ時の長さ』なのかもしれないと思った。木や森のもつ時の長さには足も及ばないけど・・・木に習って人も時を重ねる、年を重ねる、ということは実は奥深くて凄いことなのかもしれないなあ、とぼんやり思った。なぜか急に祖母に会いたくなった。亡くなった祖父母の顔も浮かんだ。足がたまたま槐の、宿主がデザインし作ってもらったテーブルの席で、少しのお酒を大切に楽しんでおられるお客様の様子が宿の建物じゅうの木の模様(年輪)に融合するかのような心地良さが拡がるひとときとなった。