2005-06-19

美留和大運動会

緑の初夏の季節の只中、美留和小の運動会が催された。全校生徒17人の美留和小は地域の大人たちも参加して一つの運動会を作り上げる。今年も仕事の都合上きっと参加できないだろうな・・・と諦めていたのだが急遽時間が取れ初参加出来ることとなった。しかも、宿主は100mの選手を引き受けることとなり、もう、これは張り切って応援に行かなきゃ!と朝早くからお赤飯まで炊いた。1位の入賞を予想して。ホントは気持ちばかりが空回りして足のもつれるお父さんたちがいるが、どうしてもああなってしまう宿主を想像してしまい一人笑いをこらえながら、でも、怪我しなきゃいいなあ・・・とも思いつつお弁当を準備した。全校生徒17人の入場行進が始まり、低学年になるにつれ頭のてっぺんからつま先まで使うようなひた向きな行進の姿を眺めただけで、ああ、今日観に来れて良かったあ・・・とじんとしてしまい、1年生の男の子と女の子二人での選手宣誓を聞いたらさらにウルウルしてしまうほどだった。さて、宿主の100m疾走はまさかと思うほど絶妙なぴたりのタイミングでカメラを構えている目の前で忍者はっとりくんが回転レシーブをしたかのように転がった。多分本人も観戦していた皆も何が起こったのか分からないまま気がつくと再び走り出した宿主の背中に声援を送った。派手な転びに相当する分の腕肩腰の擦り傷に苦笑し、何かに躓いたわけでもなく、ただこころに体が着いていかなかった・・・と照れ笑いした。全力疾走なんて高校生の頃以来・・・指折り数え約四半世紀ぶりであることに愕然としながらも、何だか妙に納得もした。一方、小学生の体にこころがうまく乗っかったのびのびとした一生懸命な走りは観ていて気持ちよく安心もできて何度も静かに感動する一日となった。


2005-05-27

摘み立てクレソン

見渡す風景の配色に若葉色の割合が日に日に増してきた。ついこの間まで木の枝だけでもそれなりに形を成し景色にうまく溶け込んでいたはずの樹々が、今ではすっかり違う木に生え変わったように細かい若葉の薄い緑色に覆われ、新しい風景が拡がり始めた。宿の庭も草の緑の中にたんぽぽの黄色、ミントなど個性的な形をしたハーブ類、そして、えんぴつのようなチューリップが芽を出した。沢ではクレソンの濃い緑色の割合が増え始めた。今年初のクレソンを摘みに行った。湧き水の中に自然に育つクレソンの瑞々しい感触を目でも匂いでも指先と手のひらでも感じながら丁寧に今晩のお客様の分を摘み取った。摘み取りながら食してみるよう宿主に言われ、まさしく採り立ての初物を頂いてみた。口の中にクレソンのピリリとした爽やかな風味と水の美味しさとしゃきしゃき感で、身体のすみずみの細胞までに力を持つ水が届くような気持ちになった。美留和の風土で自然に育つクレソンだけに身体に馴染まないはずはないよなあ・・・と呟きながら、摘み立てのクレソンをそのまま口の中にほおばることのできる環境にいられることが何だか急に尊く感じられ、美味しさと安心感、うれしさとありがたさの混じった気持ちをかみしめた。


2005-05-02

芽吹く

あちらこちらのどの庭にもとっくの昔に一番のりで春を感じ取ったことを誇るかのように開き切ったふきのとうたちが、宿の沢にはまっすぐピンと姿勢よく顔を突き出している水芭蕉、水の中にはキラキラと太陽の光を浴びるクレソン、そして宿の庭にはハーブや野の花、木の芽が芽吹く季節にすっかり移り変わった。辺りを見渡すと、自然の生命のエネルギーが呻き立てる音でも伝えてくるかのような強さと勢いが溢れている。改めて暦の上で5月になったことを思い知った。いっさい人の手を介さないゆるぎのない、奥深く根付いた生命の源のようなものに圧倒され、ますます気持ちがまだ春の手前側に取り残されたままのように感じた。夕日に照らされた木の芽や緑、夕日に染まる大きな空と雲の色の風景をみていてやっと、実際に自分が感じとることの出来る空気感と流れや音に今の季節がぴたりと重なる気がした。道東の夕日の風景はどの季節をとっても好きだが、夕日が沈む頃は一日の中でもこころが落ち着くような優しさと静けさに包まれるように思った。