2005-09-04

シゲチャンランド

かなり前から気になり行きたくてずっと温め続けていた場所のひとつだったシゲチャンランド。繁忙期の中休みの今日、ついに行くこととなった。シゲチャンランドは立体作家、大西重成さんの作品を展示してある独創的な空間が点在するギャラリースペース。夏の終りの色合いと匂いのする阿寒の山間の景色は、これからしっとりと秋の気配に移り変わりつつある季節の流れに急ぐでもなく遅れるでもなく静かに時を刻んでいた。一方、車内ではワクワクするはやる気持ちに押し流されそうになる度に、車窓から感じ取れる静かな空気の流れに足並みを揃えるかのように気持ちを落ち着ける道中だった。ギャラリーでは全ての作品がいちいち楽しくて、うれしくて、いとおしくて身体の奥にはじける思いが拡がった。思わず出てくる言葉は「参った~」「くらった~」「しびれる~」の繰り返し。文字通り、気持ちがくすぐられ、こころが自由になるときの心地よさが体感できる空間がそこには拡がっていた。そこは懐かしい自分だけの宝物がたくさん詰まっているような空間でもあった。長い時を光と闇とあらゆる自然の中で漂流していたであろう流木が、小さな米っ粒が、愛嬌のある形をしたピーナッツやひょうたんが、かつては紅茶の入れ物として成していた缶が、今では踏み潰されうらぶれてしまった数知れない廃材たちが、生き生きと、黙々と、うぎゃうぎゃと、ただただ存在していた。決して擬人化するつもりではないが、それらの存在は不自然なのにより自然で非現実的なのによりリアル感を伴って、自分たちと対等に存在するように思えた。そして何よりも、既成の概念や思いや形や言葉のさらに奥の部分で、外から刷り込まれることのない大西さんのこころのフィルターを通して創造された作品たちは本当に自由で潔く気持ちがよかった。

EyeHouse に存在する人間ほどの大きさの流木から成るオブジェのひとつ

NoseHouse の一側面に広がるアートな空間、鳥の羽、ライター、スポンジ、びんの栓、巻尺、アイスの木のさじ、歯ブラシetc・・・

LeftHand&RightHandHouse 前のひょうたんおやじと大西重成さんと宿主


2005-08-18

槐(エンジュ)のワインカップ

槐(エンジュ)のワインカップ。槐は「延寿」という漢字でも表わされ、文字通り長生きやおめでたい思いを込められた樹木のこと。久しぶりに再三足を運んで下さったお客様が「今晩はこれでお酒が飲みたくて・・・。」とお持ちになったもの。アイヌコタンのお店で見つけ購入されたとのこと。一本の木を丁寧に削り、丁寧に磨き、手造りされたであろうワインカップに見入ってしまった。まるで模様であるかのようなしっかりと刻まれた年輪を見つめていると、人の手にかかる以前の樹木の時の長さを思わされた。小さなワインカップに奥行きが合わさり、なんて贅沢なカップなんだろう・・・と厳かな気持ちになった。一からこのカップを作ろうと思うと何十年も待たなくてはならない。少なくとも太陽と大地、空気と水と時が必要で、そう簡単には作り出せない。木に囲まれ、木に触れ、落ち着いたり安心感があって心地良く感じるのは、もしかして『木のもつ時の長さ』なのかもしれないと思った。木や森のもつ時の長さには足も及ばないけど・・・木に習って人も時を重ねる、年を重ねる、ということは実は奥深くて凄いことなのかもしれないなあ、とぼんやり思った。なぜか急に祖母に会いたくなった。亡くなった祖父母の顔も浮かんだ。足がたまたま槐の、宿主がデザインし作ってもらったテーブルの席で、少しのお酒を大切に楽しんでおられるお客様の様子が宿の建物じゅうの木の模様(年輪)に融合するかのような心地良さが拡がるひとときとなった。


2005-06-19

美留和大運動会

緑の初夏の季節の只中、美留和小の運動会が催された。全校生徒17人の美留和小は地域の大人たちも参加して一つの運動会を作り上げる。今年も仕事の都合上きっと参加できないだろうな・・・と諦めていたのだが急遽時間が取れ初参加出来ることとなった。しかも、宿主は100mの選手を引き受けることとなり、もう、これは張り切って応援に行かなきゃ!と朝早くからお赤飯まで炊いた。1位の入賞を予想して。ホントは気持ちばかりが空回りして足のもつれるお父さんたちがいるが、どうしてもああなってしまう宿主を想像してしまい一人笑いをこらえながら、でも、怪我しなきゃいいなあ・・・とも思いつつお弁当を準備した。全校生徒17人の入場行進が始まり、低学年になるにつれ頭のてっぺんからつま先まで使うようなひた向きな行進の姿を眺めただけで、ああ、今日観に来れて良かったあ・・・とじんとしてしまい、1年生の男の子と女の子二人での選手宣誓を聞いたらさらにウルウルしてしまうほどだった。さて、宿主の100m疾走はまさかと思うほど絶妙なぴたりのタイミングでカメラを構えている目の前で忍者はっとりくんが回転レシーブをしたかのように転がった。多分本人も観戦していた皆も何が起こったのか分からないまま気がつくと再び走り出した宿主の背中に声援を送った。派手な転びに相当する分の腕肩腰の擦り傷に苦笑し、何かに躓いたわけでもなく、ただこころに体が着いていかなかった・・・と照れ笑いした。全力疾走なんて高校生の頃以来・・・指折り数え約四半世紀ぶりであることに愕然としながらも、何だか妙に納得もした。一方、小学生の体にこころがうまく乗っかったのびのびとした一生懸命な走りは観ていて気持ちよく安心もできて何度も静かに感動する一日となった。