2024-08-04
達人たち
ひょんなことから家壁の修復をお願いすることになった職人さんは我が家の庭に降り立っただけで、映画ジュラシックパークの恐竜博士のモデルになった考古学者さることながら壁以外に家周辺の不具合に通じるだろう問題点を挙げられた。それが私たちの初対面のあいさつ代わりとなった。弟子屈で生まれ育ち、御年80歳を優に超えているというその建具職人さんの手仕事の美しさはもちろん、風の流れ、雲の動きや厚みの変化によって仕事の段取りを調整するやり方に惹かれた私は内心「デルスウザーラ」と呼ぶ。家人は「師匠」と呼んだ。師匠を追いかけ愉しそうについていく家人はお祖父さん子であったという子供の頃を彷彿とさせた。動物の習性、種に至るまでの植生、木々や動植物に関する生きた知識に驚き通しだ。分からないことはその日の帰りに図書館に寄って図鑑で調べ翌日必ず私たちに共有して下さる。環境や生活に直結する時事、政治ネタまで話題は尽きない。動画やSNSからの、小手先のもっともらしさとは格が違う身体からの直感、知性の現れに感動すら覚える。時代や場所を変えても狂うことのない方位磁石のようだ。私も参加させてもらえる10時とお昼、3時の束の間の休憩時間が待ち遠しい。お昼には冷たい麺類を、甘いものが好物だと知ってからは水ようかんにコーヒーゼリー、水饅頭にプリン、蕨餅などをせっせと拵えた。補修作業が終盤に差し掛かり師匠とのひとときをなごり惜しく感じるようになった矢先、木彫りパンダの写真付きの葉書が届いた。モデルは里子で出したパンダの「マシューマン」。やはり御年80超えの女子3人組みの、子育てをして、孫を見て今ではひ孫も見ているという「育てる」ことにおいては大変頼りになる大先輩たちからのメッセージは愛に溢れる。他の里親にもらわれていった「カン」と「トシユキ」もそれぞれ大事にされている様子が目に浮かぶ。我が家の子たち ─ 小康、ボス、ゆず茶、ミケ、エイスケ、トナカ、トン、チン、ミケ ─ も変わらず元気であることを返信の便りに書き添えた。



2024-07-06
June bride
全国の書店員が押す物語の主人公たちに私も魅了される。とりわけ「成瀬」の伸びやかさと勢いは私の若い友人たちにも通じるものがある。彼らも「200歳まで生きる!」と言い出しかねない。数年前に入学した専門学校で、出席番号順に決められた私の座席前に座る学生は中でも言動が自由で、人目をひいた。他のクラスメイトたちの若さ特有の活きの良さを統括していくような聡明さもあった。彼女には生まれつき心臓に器質的な不具合があり、時にドライでとんがった感じの活発さは、彼女が自身に課したストイックさの現れであり、またハンディを見せまいとして知らずのうちに身に付けたふるまいであることをのちに理解することになるのだが、配布されるプリントや答案用紙を後部座席の私に振り返り手渡してくれるときの「はい」と「ありがとう」を交わす繰り返しの中で私たちは親しくなった。仕事を終えると夜の授業の開始まで図書室で過ごす私のところに彼女は現れた。ほぼ貸切状態の図書室で、親子くらい年が離れた安心感からなのか私の前で彼女は素顔を見せた。もともと私の専門である持病の服用薬の相談にはその都度応じたものの、彼女の恋の相談には先回りするような物言いは控えた。彼女の真摯で純粋な思いを侵すことのないよう、彼女から溢れる感情と零れる涙をただ見つめるばかりだった。
卒業して新しい地で修業をしていると聞いていた彼女から久々に連絡があった。体に不具合が出たのか、何か困ったことでも起きたのかなど、いつもの取り越し苦労をよそに、その知らせは恋の相手の彼と入籍、結婚することになったという果報だった。学校の先生方やクラスメイトたちには言わずに身内だけでお祝いするのだけれども、どうしても私に伝えておきたかったのだと言う。彼女の切実な思いと美しい涙を目撃した者としては何よりうれしく、感慨深く受け止めた。しかし、恋は成就してもしなくても通過点であり、新たな始まり。先にスタートした者の個人的な経験から言わせてもらえるとすれば、伴侶との組み合い方、力の合わせ方によっては個人では思っても見なかった能力が、おそらくそれは最良の部分が相互に引き出されるようにも思う。彼女のこれからと、そして道半ばの私たちも引き続きそれぞれに歩んでいく健やかさを願い、若い友人の幸福をこころから祈念する。新緑がぐんぐん伸びる美留和の今は、彼女や成瀬のように爽快で眩しい。



2024-06-05
エール
彼女と最初に出会ったのは家人だったが、いつしか私の方が親しくなった町の古い友人が若い頃の夢であった「パリに住む」ことを実現するにあたって、どうにか準備と覚悟が整いつつある出発4日前のお昼過ぎ、小さな壮行会を催した。中学と高校の英語の教師として務め、生徒たちや若い先生たちと常日頃接するなかで、かつて自身が若かった頃のことを思い出し、いつの間にかもう数倍近くも生きていること、50歳を過ぎたこれからしばらくすると次は親の介護の問題が出てくるだろうし身動きがとれるうちに、そしてまだ元気がある今のうちに行こう!と決めて準備を進めてきていた。学生の頃と社会人になってから数回の英国留学の経験はあっても今回の外国行きの準備は、様変わりして大変だったそうだ。「現金を持たない」「紙ベースの資料がない」この二つだけでも昭和世代の私たちにとっては心もとない。いったいどうやって何から手をつけてよいものかさえ検討がつかない。外国で使用可能なマルチタイプのクレジットカードの作成、行く先の語学学校のテキストや学校からの案内、掲示板を閲覧するためのweb上での登録や行った先の国々で携帯のsimを交換する準備と複雑な手続きを聞いて、もはやスマホなしで海外に行くことや海外での生活は言葉以前の困難さがつきまとうだろうことを改めて知ることになった。手持ち用に最小限の現金を還元したポンドとユーロの紙幣は、幼児の頃のままごとセットのお金を思い出させた。ポンドには透明な透かしが覗き窓のように組み込んであったり、ユーロは角度によって色が変化するインクが使われていたり双方ともカラフルな小さなチケットタイプに変わっていた。
今では通信やインフラのおかげで、場所を問わず一瞬にして通じ合える便利さはあるものの、体は飛行機で十数時間かかる遠くの先へ運ばれる。近いようでいて、やはり遠い。同じ町内に住みながら日頃文通もする私たちだが、とりわけ今回は敢えて日本らしい記念切手を貼った手紙を送った。パリ五輪で取り壊されそうになったけれども、店主たちの頑張りと多くの市民の声で撤去を免れたセーヌ川沿いの風物詩である古書店を巡り、偶然にも見かけたら購入してほしいフランス語訳版の日本の小説のタイトル『Le Marais des Neiges 』を記した。彼女の夢が現実になった記念ということにしてこんなミッションを書いて贈った。彼女の健康を祈念して。


