2024-06-05
エール
彼女と最初に出会ったのは家人だったが、いつしか私の方が親しくなった町の古い友人が若い頃の夢であった「パリに住む」ことを実現するにあたって、どうにか準備と覚悟が整いつつある出発4日前のお昼過ぎ、小さな壮行会を催した。中学と高校の英語の教師として務め、生徒たちや若い先生たちと常日頃接するなかで、かつて自身が若かった頃のことを思い出し、いつの間にかもう数倍近くも生きていること、50歳を過ぎたこれからしばらくすると次は親の介護の問題が出てくるだろうし身動きがとれるうちに、そしてまだ元気がある今のうちに行こう!と決めて準備を進めてきていた。学生の頃と社会人になってから数回の英国留学の経験はあっても今回の外国行きの準備は、様変わりして大変だったそうだ。「現金を持たない」「紙ベースの資料がない」この二つだけでも昭和世代の私たちにとっては心もとない。いったいどうやって何から手をつけてよいものかさえ検討がつかない。外国で使用可能なマルチタイプのクレジットカードの作成、行く先の語学学校のテキストや学校からの案内、掲示板を閲覧するためのweb上での登録や行った先の国々で携帯のsimを交換する準備と複雑な手続きを聞いて、もはやスマホなしで海外に行くことや海外での生活は言葉以前の困難さがつきまとうだろうことを改めて知ることになった。手持ち用に最小限の現金を還元したポンドとユーロの紙幣は、幼児の頃のままごとセットのお金を思い出させた。ポンドには透明な透かしが覗き窓のように組み込んであったり、ユーロは角度によって色が変化するインクが使われていたり双方ともカラフルな小さなチケットタイプに変わっていた。
今では通信やインフラのおかげで、場所を問わず一瞬にして通じ合える便利さはあるものの、体は飛行機で十数時間かかる遠くの先へ運ばれる。近いようでいて、やはり遠い。同じ町内に住みながら日頃文通もする私たちだが、とりわけ今回は敢えて日本らしい記念切手を貼った手紙を送った。パリ五輪で取り壊されそうになったけれども、店主たちの頑張りと多くの市民の声で撤去を免れたセーヌ川沿いの風物詩である古書店を巡り、偶然にも見かけたら購入してほしいフランス語訳版の日本の小説のタイトル『Le Marais des Neiges 』を記した。彼女の夢が現実になった記念ということにしてこんなミッションを書いて贈った。彼女の健康を祈念して。



2024-05-06
お年寄りのオスたち
分けて頂いた平飼いの鶏の有精卵をひよこに返してみたい思いに駆られていると友人は「(入手先の)雄鶏はもう元気がないみたいよ」と孵化が難しいだろうことをほのめかした。温めればひよこに返るかもしれない卵が何とも不思議でしばらく口にすることがためらわれた。しかし子供の頃にはそんな卵が普通に食卓にのぼった。庭で鶏を飼っていた祖父母宅では卵だけではなく盆や正月の親戚が集まる時には絞めた鶏と畑から採取した野菜の煮物がふるまわれていた。また、卵は滋養の食べ物としての代表格だった。風邪をひきがちで学校を休み寝かされているところに、仕事の合間を縫って母が枕元に用意してくれた元気の素は卵を用いた食べ物であった。普段食卓にのぼるゆで卵でも目玉焼きでも玉子焼きでもなく、我が家では誕生日やクリスマス以外には口にすることが少なかった、プリンやアイスクリームやカステラであった。それらの甘さと抗生物質のドライシロップの甘さに含まれる苦味と嚥下時の独特の香りの記憶がよみがえる。幼少のころのそんな記憶を思い出したからというわけではないけれども、今では貴重となった珍しい卵でカステラを作って高齢の友人に届けた。住居型有料老人ホームに越したばかりの春先に、桜餅を差し入れしたときの悲しい表情は消え失せ、寂しさはないとは言えないけれども声に元気が戻っていた。日々の細々したことを聞かせてもらう。2階の彼女の部屋の向かいに新人さんが引っ越してきて、冗談の通じる楽しい男性なのだと言う。てっきり2階は住居人が女性のフロアだと思い込んでいた私は思わず、用心するように言うと「もう、そんな元気はないわよ」と笑って言った。息づかいと言葉が相まった彼女の声に、かつて都会の暮らしにおいてはずっと酒と煙草と音楽を嗜んでいたという若い頃の彼女の自由さと余裕を垣間見る思いがした。



2024-04-05
転機
就職、進学、卒業(離任、離職)の時季に合わせたかのように突如その引越は決まった。住居型有料老人ホームの部屋が空くのに当初見積もられた2年半の猶予期間があればモノの整理整頓はともかく気持ちもだんだんと整うに違いないと構えていた私たちはおろか、とりわけ老女は心慌意乱になった。自力で生活をしていくことの現実と理想の乖離が日に日に大きくなっていることを自覚しているだけに、形式上同意、申請はしたものの前日まで気持ちが揺れてしまって、あやふやなまま押し流されるように当日を迎えた。結局家の中は手つかずで、短期の旅行にでも出かけるかのように最小限の支度をして新たな住処へと送り出すことになってしまったからなのか、毎朝家人は隣家の煙突から煙が出ているように錯覚をし、私は風がドアを叩く音に目を覚ましカーテンを開け人影を探す。子供が巣立ったあとの親の尽きない心配に似ているのかどうか分からないけれども、元気かしら、大丈夫かしら、と頭の片隅で気にかかる。身寄りがなく親戚との係わりもなくなってしまっている彼女にとって、暮らすのに不可欠な雑事から解放され安全はもとよりプライベート空間が保たれている場で、安心して自身の晩期を自由にデザインしてゆくこれからの新たなステージに1歩足を進めたのだとも思う。
そんな春先のできごとの只中に、立て続けに受けたお客様からのご予約。それぞれ子供たちが大きくなって手が離れての再来で、両方のお客様ともに宿のオープンの年にいらしたのだと言う。21年ぶりに足を運んで下さることとなる。いつの間にか私たちの愛娘の如きお宿かげやまもステージを移し、新たに歩み始めている。


