2024-09-04

美留和の森

私たちが暮らす集落の一画に突如「太陽光パネル設置計画」が浮上したとき、ちょっとした騒ぎになった。春には草花の芽吹きを、夏には朝靄を、秋には色づき朽ちていく草花木々を、冬には凍てつく雪原を眺めながら往来する生活道路からの景観を惜しむ声が大半を占めた。だからなのか、第一声に「オオジシギ」のことをあげて下さった有識者の二つの声は不意をついた。春先の、あの特異な鳴き方と飛び方に誰もが驚き否が応でも自然と名前と顔を覚えてしまう鳥。ー 草原、湿原などに生息。単独、または渡りの途中に小規模な群れを形成する。食性は動物食傾向が強い雑食で、主にミミズを食べるが昆虫、種子なども食べる。繁殖形態は卵生。繁殖期には縄張りを形成しオスは縄張り内を鳴きながら飛翔した後、尾羽を拡げ羽音を立てながら急降下、という行為を繰り返し求愛する。枯草などを組み合わせた皿状の巣を地表に作り、4~6月に1回に4個(稀に3個)の卵を産む。メスのみが抱卵すると考えられている ― 春の到来とともにこの地に当たり前のようにやってくる渡り鳥の住処が北海道においても数少ない稀有な場所であることをあらためて知る。休耕地ではあってもプライスレス(無価)の土地、水資源、温泉源が投機目的で売買されるとき、個人の内面の基準がオオジシギやシマエナガたちの生命のあり方に一致する彼らの視点に無価の意味を教えられる。

その方が霊長類学者であることは後になって知ることになったのだが、旭山動物園の絵描きの方とお二人でお泊りにいらしたことがあった。世の中、いろんな会話があるけれども、その夜にはまさかの「ゴリラ話」。静かではるが、夢中で真剣に思いが交わされる光景はゴリラ愛に満ちてほほえましいもので、しかし、ペットとしての動物に対する視点とは少し違い、自然全体の中で生きる人間と動物を対等に捉えるときの、あってしかるべき緊張感を伴う厳しさがあった。「味方を作らないと敵も作らない」そのようなことも語っておられたように思う。敵と味方、善と悪、生業、思想信条など一切合切の概念の土台には乗らない価値が危うく時代の流れに呑まれることなく、今回の太陽光パネル計画は撤回された。議論の端緒に無価の価値を暗黙の了解とする美留和のシマエナガの伝道師と思いを交わし共有する。


2024-08-04

達人たち

ひょんなことから家壁の修復をお願いすることになった職人さんは我が家の庭に降り立っただけで、映画ジュラシックパークの恐竜博士のモデルになった考古学者さることながら壁以外に家周辺の不具合に通じるだろう問題点を挙げられた。それが私たちの初対面のあいさつ代わりとなった。弟子屈で生まれ育ち、御年80歳を優に超えているというその建具職人さんの手仕事の美しさはもちろん、風の流れ、雲の動きや厚みの変化によって仕事の段取りを調整するやり方に惹かれた私は内心「デルスウザーラ」と呼ぶ。家人は「師匠」と呼んだ。師匠を追いかけ愉しそうについていく家人はお祖父さん子であったという子供の頃を彷彿とさせた。動物の習性、種に至るまでの植生、木々や動植物に関する生きた知識に驚き通しだ。分からないことはその日の帰りに図書館に寄って図鑑で調べ翌日必ず私たちに共有して下さる。環境や生活に直結する時事、政治ネタまで話題は尽きない。動画やSNSからの、小手先のもっともらしさとは格が違う身体からの直感、知性の現れに感動すら覚える。時代や場所を変えても狂うことのない方位磁石のようだ。私も参加させてもらえる10時とお昼、3時の束の間の休憩時間が待ち遠しい。お昼には冷たい麺類を、甘いものが好物だと知ってからは水ようかんにコーヒーゼリー、水饅頭にプリン、蕨餅などをせっせと拵えた。補修作業が終盤に差し掛かり師匠とのひとときをなごり惜しく感じるようになった矢先、木彫りパンダの写真付きの葉書が届いた。モデルは里子で出したパンダの「マシューマン」。やはり御年80超えの女子3人組みの、子育てをして、孫を見て今ではひ孫も見ているという「育てる」ことにおいては大変頼りになる大先輩たちからのメッセージは愛に溢れる。他の里親にもらわれていった「カン」と「トシユキ」もそれぞれ大事にされている様子が目に浮かぶ。我が家の子たち ─ 小康、ボス、ゆず茶、ミケ、エイスケ、トナカ、トン、チン、ミケ ─ も変わらず元気であることを返信の便りに書き添えた。


2024-07-06

June bride

全国の書店員が押す物語の主人公たちに私も魅了される。とりわけ「成瀬」の伸びやかさと勢いは私の若い友人たちにも通じるものがある。彼らも「200歳まで生きる!」と言い出しかねない。数年前に入学した専門学校で、出席番号順に決められた私の座席前に座る学生は中でも言動が自由で、人目をひいた。他のクラスメイトたちの若さ特有の活きの良さを統括していくような聡明さもあった。彼女には生まれつき心臓に器質的な不具合があり、時にドライでとんがった感じの活発さは、彼女が自身に課したストイックさの現れであり、またハンディを見せまいとして知らずのうちに身に付けたふるまいであることをのちに理解することになるのだが、配布されるプリントや答案用紙を後部座席の私に振り返り手渡してくれるときの「はい」と「ありがとう」を交わす繰り返しの中で私たちは親しくなった。仕事を終えると夜の授業の開始まで図書室で過ごす私のところに彼女は現れた。ほぼ貸切状態の図書室で、親子くらい年が離れた安心感からなのか私の前で彼女は素顔を見せた。もともと私の専門である持病の服用薬の相談にはその都度応じたものの、彼女の恋の相談には先回りするような物言いは控えた。彼女の真摯で純粋な思いを侵すことのないよう、彼女から溢れる感情と零れる涙をただ見つめるばかりだった。
卒業して新しい地で修業をしていると聞いていた彼女から久々に連絡があった。体に不具合が出たのか、何か困ったことでも起きたのかなど、いつもの取り越し苦労をよそに、その知らせは恋の相手の彼と入籍、結婚することになったという果報だった。学校の先生方やクラスメイトたちには言わずに身内だけでお祝いするのだけれども、どうしても私に伝えておきたかったのだと言う。彼女の切実な思いと美しい涙を目撃した者としては何よりうれしく、感慨深く受け止めた。しかし、恋は成就してもしなくても通過点であり、新たな始まり。先にスタートした者の個人的な経験から言わせてもらえるとすれば、伴侶との組み合い方、力の合わせ方によっては個人では思っても見なかった能力が、おそらくそれは最良の部分が相互に引き出されるようにも思う。彼女のこれからと、そして道半ばの私たちも引き続きそれぞれに歩んでいく健やかさを願い、若い友人の幸福をこころから祈念する。新緑がぐんぐん伸びる美留和の今は、彼女や成瀬のように爽快で眩しい。