2024-03-05

図書室

移り住んだ先で、旅先で、外出し訪れた先々で、これまでに色々な図書館を巡り歩いてきた。ある人にとって世界遺産を訪れたり山に登ったり、星のつくレストランや美味しいパン屋さん、お菓子屋さんを巡るよりも気軽に、図書館に出向き立ち寄る。本の扱われ方や蔵書数と傾向、図書館の建築や配架と照明、置かれている机や椅子などの調度品が合いまる雰囲気はさまざまだが、どこへ出かけても図書館にたどり着けば私の機嫌は上向きで、時々、大学などではない小さな町の寂れた図書館に絶版となり古書店でも入手困難な稀覯本が、長い間誰の手にも取られることなく置かれているような佇まいに遭遇すると何かのお告げでもあるかのように気が騒ぐ。気持ちを落ち着け救い出すようにそっと手に取る。そんな偶然の出会いを拾っての読書をつなげてきた。数年前に通った専門学校の図書室は利用する学生がほとんどいないからなのか、または専門図書が実用的傾向が強いから購入が控えられているのかは不明だが、これまでのどんな図書館よりも本が大事にされず(読まれず)関心を持たれていない素っ気ない空気に気持ちが沈んだ。時間が空くと図書室に通い始め同じ場所に一人で座ることを繰り返した。1年生の夏休み前、ひょんなことから、自衛官として社会経験のあるムードメーカー的存在のクラスメイトが、東洋医学に感銘していることを先生と私たちの前で表明し、さらに図書室に置いてある『黄帝内経』の素問と霊枢を早いうちに読みたいと公言した。何の衒いも嫌味もなく、青臭くもない素直な気持ちの現れに私の彼に対する好感度は上がり、地味な図書室を知る同志が他にもいたことを内心とても喜んでいた。とりわけ東洋医学系の授業では好成績を修めた彼だったが、2年生の夏の定期試験の途中で突如学校に来なくなった。学校は辞めないけれどもしばらく休学になることが担任から告げられた。それからも図書室の素問と霊枢の背表紙を見ては彼のことを思い出した。関東の実家に帰省したとき、散歩を兼ね墨田区の江島杉山神社に足を延ばすたびにも思い出された。東洋医学の神様がいるとするならば、まずは彼のような人を必要とされるだろう、という思いがあった。私たちが卒業してから彼は再び2年生に復帰した。

この2月末、国家試験が「受かったっぽい」という彼からのショートメッセージが入った。これでようやく余計な肩の荷を下ろし、彼らしく東洋医学を軸にした施術をデザインしていく道が定まるだろうことを思うと他人ごとながら嬉しく安堵した。次回帰省したときには「杉山和一」に感謝とともに彼の、そしてクラスメイトたちの近況を報告するつもりでいる。


2024-02-07

晩期

伴侶、親、兄たち、知人友人まで何人もの喪を背負ってきている義父は誰かの訃報に際し感情を大きく乱すことはない。包んだ香典を私たちか他の誰かに託す。先日、父の同級生が亡くなった知らせには深いため息をついてしばらく黙った。そして、お通夜に行くから喪服を準備しておくように言う。高齢からくる体の不自由、不具合からふだん散歩に出かけるのでさえままならなくなってきているのに、自分から「行く」と決めたからにはよっぽどのことがあってだろうから目先の心配事はあとに回す。若い頃から現役の頃には自分の体にぴたり合うよう仕立てた服を着ることを常にしていたというわけではないけれども、けちで野暮ったいのを嫌う父なのでちゃんと着させてあげるべく支度にかかる。スーツを確認し新しい靴下を揃え靴を磨き直す。
生・老・病の中で多くの死を、そして先の大戦前後も目にしてきた父からすると、友人の死も自然の流れの中のひとつであろうとは言え、重ねて個々の生はかけがえのないものでもある。やや腰が曲がり服がひとまわり大きくなったスーツ姿の父の心情をあれこれ思いながら無事に送り出す。


2024-01-05

負債

アルバムを開くとすぐに、母に抱かれて眠る赤ん坊の写真。余白にブルーインクで「生後18日」の文字が添えてある。生まれて間もないある限られたひとときの、母子一体の時空は神秘性を帯びる。こちらの目で触れることさえためらわれるほど清く、美しい。人の子は産んでもらっただけでは酷く弱く不能で、親や親に代わる誰かの世話なしにはこのか弱い命が保ち育まれることはあり得ない。そうやって人の子は与え続けられてようやくやっと歩けるようになる。振り返ってみても、つくづく、親の無償の贈与には感謝の言葉しか思い浮かばない。同じ目線で喜び悲しみ、そして励まし続けてくれた。与えられれば与えられるほどより自由になった。遺されたこのアルバムには、頭に包帯を巻いた姿、顔や膝っ小増にかさぶたをつけて、しかもむくれっ面で写る悪ガキまで、幸福な子供らしい生命力あふれる幼少期のさまざまな物語が詰まる。



それぞれの時代に(そして/または、それぞれの家庭に)固有の問題や偏見はついて回るが、どの時代も多かれ少なかれ苦労しながら親が子に与え、もらったその子がまた親になって子に与える・・・が繰り返されて今の私が在る。どんな時代であろうが当たり前のこととしてふつうに繰り返されてきた、上の世代からもらったものを次の世代に渡してゆくこと、身の回りの小さなことで言えば、例えば言葉だって、上の世代からもらったものだ。父や母が、どんな態度でどんな言葉をかけながら育ててくれたか、ある折に送ってくれた、今の私よりも年かさの少ない親からの手紙の中の言葉と対話するとき、際限のない想いに身を委ねるほかなくなる。