2024-02-07

晩期

伴侶、親、兄たち、知人友人まで何人もの喪を背負ってきている義父は誰かの訃報に際し感情を大きく乱すことはない。包んだ香典を私たちか他の誰かに託す。先日、父の同級生が亡くなった知らせには深いため息をついてしばらく黙った。そして、お通夜に行くから喪服を準備しておくように言う。高齢からくる体の不自由、不具合からふだん散歩に出かけるのでさえままならなくなってきているのに、自分から「行く」と決めたからにはよっぽどのことがあってだろうから目先の心配事はあとに回す。若い頃から現役の頃には自分の体にぴたり合うよう仕立てた服を着ることを常にしていたというわけではないけれども、けちで野暮ったいのを嫌う父なのでちゃんと着させてあげるべく支度にかかる。スーツを確認し新しい靴下を揃え靴を磨き直す。
生・老・病の中で多くの死を、そして先の大戦前後も目にしてきた父からすると、友人の死も自然の流れの中のひとつであろうとは言え、重ねて個々の生はかけがえのないものでもある。やや腰が曲がり服がひとまわり大きくなったスーツ姿の父の心情をあれこれ思いながら無事に送り出す。


2024-01-05

負債

アルバムを開くとすぐに、母に抱かれて眠る赤ん坊の写真。余白にブルーインクで「生後18日」の文字が添えてある。生まれて間もないある限られたひとときの、母子一体の時空は神秘性を帯びる。こちらの目で触れることさえためらわれるほど清く、美しい。人の子は産んでもらっただけでは酷く弱く不能で、親や親に代わる誰かの世話なしにはこのか弱い命が保ち育まれることはあり得ない。そうやって人の子は与え続けられてようやくやっと歩けるようになる。振り返ってみても、つくづく、親の無償の贈与には感謝の言葉しか思い浮かばない。同じ目線で喜び悲しみ、そして励まし続けてくれた。与えられれば与えられるほどより自由になった。遺されたこのアルバムには、頭に包帯を巻いた姿、顔や膝っ小増にかさぶたをつけて、しかもむくれっ面で写る悪ガキまで、幸福な子供らしい生命力あふれる幼少期のさまざまな物語が詰まる。



それぞれの時代に(そして/または、それぞれの家庭に)固有の問題や偏見はついて回るが、どの時代も多かれ少なかれ苦労しながら親が子に与え、もらったその子がまた親になって子に与える・・・が繰り返されて今の私が在る。どんな時代であろうが当たり前のこととしてふつうに繰り返されてきた、上の世代からもらったものを次の世代に渡してゆくこと、身の回りの小さなことで言えば、例えば言葉だって、上の世代からもらったものだ。父や母が、どんな態度でどんな言葉をかけながら育ててくれたか、ある折に送ってくれた、今の私よりも年かさの少ない親からの手紙の中の言葉と対話するとき、際限のない想いに身を委ねるほかなくなる。


2023-12-06

理解に届けないこと

娘でもおかしくないほど歳のはなれた友人とのやりとりで、同時にかつての若い頃の私自身にも耳をかたむけているとき、高校生の頃の現代国語の教室の風景が思い起こされた。教科書に書かれていたのは雑誌や新聞など普段それまでに触れることのできた類の読み物にはないようなある批評論集から抜粋された文章が載っていた。地と文、つまり文脈を意識して読む練習をしたことのない私にとっては意味が分かる分からない以前に、日常の瞬時に消えゆく話し言葉とは違う言葉の連なりよって象られてくる表現があることにまず驚き、またそれを語る案内人の国語の先生の雰囲気に魅了された。先生の声は大きすぎず小さすぎず、何かを教えてやろうという教条主義的な態度は微塵もない。まなざしを遠くに馳せ、ぽつりぽつり言葉を選びながら全体的にはゆうゆうとお話になる先生だった。湾曲した趣ある松の木をイメージさせるような、どうみても体育の先生でも社会の先生でもありえず、音楽か美術の先生に見えないこともないけれども、やはり国語の先生がピタリとくる風雅な佇まいだった。内容は簡単に理解できなくても、その先生の話を聴いていると、何かとても精神のようなものにとって大事なことであるような気がした。あのときの教室が私にとって精神の地誌の始まりだったように思える。立ち方や歩き方を修正する機会を逃し、自己流で歩くことに重きをおきすぎて随分と遠回りをし寄り道をして今に至るようなところがあって、若い友人に対し即効性のある気の利いたことは示せない。しかし、目の前に苦しむ人が現れたとしたら誰であっても理解に努めようとする。相手に代わることはできないけれども考えやこころを巡らすと思う。理解できないことと無理解は違う。他者にそっくりそのまま理解されることは不可能だけれども、人でなくても何かとの出会いや交わり、対話が自身の背中をポンポンと叩いて落ち着かせ、さすり温め、そして押してくれることもある。

母と同じくらい年上の友人が目の前に現れた。顔全体の皺が苦しみを現わしている。フラフラとしながら自身でえんぴつ書きした数個のメモを前にして頭が混乱し時間の流れが分からないと言う。ほとんどシミのない白い皮膚がよじれて苦しみを作る顔の右目の外眼核に目脂がべっ甲色に固まっていた。それは目尻からこぼれ落ちる涙の形をして色白の肌に映えた。合理が通用しなくなる高齢の認知機能の低下からくる不安と怖れが和らぐのをしばらく待つ。記憶が80分しか持続しない数学者のように、いくつものメモを握りしめたままフワリふわり彷徨いながら戻っていく老嬢の後ろ姿に海風に吹きあげられ枯れゆく松の古木を重ねる。