2023-10-12
終の棲家
若い頃の葛藤を経て観念し受け入れていること、雪に閉ざされいっけん退屈そうな長い冬を今ではむしろ親しんでいられるのは時の経過によってもたらされた贈り物のようなものである。冬ごもりの醍醐味を知るずっと前の、移住して間もない頃、二重生活をするために本州の転居先を検討したことがあった。あれからずっと後、お互いの片親の他界、残る親の老化や介護、そして自分たちの行く末を考えたことをきっかけに、現実味をもって転移のために話を詰めたこともある。自然環境が豊かな場所にポツンと立つその建物は、平屋で広すぎず狭すぎず私たちの希望と合致した。ただっ広い農地の中に移築して建てられたという築100年ほどの古民家で、配置と間取り、外壁、灯篭、建具、照明、沓脱石、調度品はもちろん、コンセントの位置なども含め細部にまで持ち主のこだわりと愛情のようなものが伝わってくる住まいだった。問題は広い農地も合わせて購入しなければならないという、資金の調達もさることながら農業委員会の審議を経ての複雑な手続きの壁が立ちはだかった。日本の土地(農地)が無規制の、又はゆるい規制の隙間をぬっていとも簡単に外資に買い占められている状況下にあっては、出来ればもちろん農地もまるごと購入したいとの思いは募る。熱に浮かされたように、農業を営む従兄弟に電話をして制度の仕組みの教示、農人としての心構えから備えまでもろもろの意見や助言をもらい、その古民家の持ち主の方とも直接やりとりをさせて頂いた。結局、断念しざるを得なかったものの数回にわたるその持ち主さんとのやり取りは忘れがたいものとなった。断念後しばらくして持ち主さんが言われた。「手放さないことにしました、いつかお近くに来られたときには見学がてらどうぞお立ち寄りください」。その住まいが私たちや他の誰でもなく、持ち主さんによって引き続き住まわれることが分かって、なぜかとても安堵した。
痛みの頻度が増し、いよいよ体の不自由度が大きくなってきた老女の2階の寝床を1階に拵えるのに、荷物や家財道具を移動しながら古民家のそんなできごとを思い出していた。埃が被るいちいちに彼女の歩んできた軌跡を思い、それらへの愛着の濃度は彼女の孤独の深さを思わせた。トイレに近く、暖かく就寝する場所を作り終えた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。15歳の時に他界したお母さんの形見であるという足踏みミシン、年が近く一番仲良しで、不慮の事故で亡くなった兄貴の形見だという木のテーブルを埃と物々から救い出し、磨いてベッドから彼女の目に届くどこかにうまく配置できないものか、次回の課題とすることにした。



2023-09-07
植物劇場
画集を眺めていて、ミュンヘンのある市立美術館が蔵している「植物劇場」というタイトルの作品を見た家人は、本物を見てみたいと感嘆の声を漏らした。日本画、西洋画問わず美術に関して歴史、作家、作品についての詳細をほとんど知らず、また絵を描くことにおいて何をどうすればよいものか取っかかりさえ思いつかない身だからなのか、家人のそんな独り言を流さず拾って、今すぐにドイツには行けなくても、春から夏にかけて開催していたマティス展のように今後作品の方が日本にやってくることがあるかもしれないから、そのときには機会を逃さず足を運んでみてはどうか促しながら気持ちを温める。美術の世界において語られる「美」とは別次元の、思わずこころが惹かれ目の前の絵を見つめ対峙する側の一瞬の横顔、無心の姿は美しい。
食用を目的とした果樹や蔬菜の生産園芸よりも、なぜか自然の風景に溶け込んだ草花の園芸を好む質であることに加え、隠花植物をも好む傾向にあるからなのか、絵画においてもモチーフが植物で色合いがくすんだ作品であればあるほど惹かれる。庭に生えた植物を移植し囲って作った小さなガーデンを家人が模写した頃から少し時間が経って頬を撫でる風がひんやりし始めた。目前の我が家の植物劇場の登場人物たちもそれぞれに色を褪せはじめた。いつの日にか、上手に枯らし、うまく取り扱えるようになってから、美留和で共に過ごした時間の堆積と命の証である押し花や押し草として思い出を閉じ込め、採取した日時と場所、天候のみを記した小さな個人的なアルバムを作成してみたい。



2023-08-13
原気
いつしか白髪のロングヘアになり歪んだ亀背に目が引かれるようになってからも、こころの内では彼女を出会ったころのままアン(赤毛のアン)と呼ぶ。年相応の身体の不具合や固有のハンディキャップはあっても声の芯にアンが見つかる。ところが先日、風音と間違うほどの小さなノックの音にドアを開けてみると、穏やかならぬ悲哀をまとったアンが玄関先に立ち尽くしていた。ただでさえ食が細く華奢なのに、消え入りそうになった彼女の背中を思わずさすった。悲痛な思いを胸に抱えるほどの体力がなくなっているのに食べるとむかむかしてどうしようもないから灸の施術をお願いに来たということだった。予定を調整してすぐに支度し彼女を訪問した。日頃から仰臥位も腹臥位も苦手な彼女なので座位で鍼や灸の施術をしているのだが今の体力と様子から、今回は台座灸を1箇所にのみ、あとは棒灸での施術を行うこととした。皮膚感覚の反応を見ながら、気の疎通と肝脾不和、腎陰虚の経絡の流中上の特に虚している経穴に灸をすえた。棒灸を近づけて熱く感じたら「ハイ」と言ってもらい、棒灸を遠ざけそしてまた近づけるということを繰り返す。小さい「ハイ」の声が次第に「いたっ!」「イダーっ!」「イデーっ!」「痛いよー!」「死ぬー!」など変化し織り交ざり、それはプリミティブな叫びとなって喪に服す彼女を彼女自身が癒しているように思えた。またその無防備な叫びは、5人兄弟で末っ子、4人のお兄さんたちの中で育ったという彼女の子供の頃の健やかさを彷彿とさせもした。痛みの皮膚感覚が脳に伝わると同時に情動を司る古脳にも響き無意識下ではあっても原気や原初の記憶が呼び起こされることが大切に思えた。バリエーション豊富なそれらの叫びは、彼女が生まれ持つ元来の健康や気質、知性の表れであると同時に人情の機微に触れるような暖かみをも発した。施術が終わる頃に、おもむろに彼女は話しはじめた。人生の80数年間、短くしたのは若い頃に一度きり、腰まで長くしていた髪を短くしようと思ってると言う。開き直ったり、もっともらしい言い訳を当てはめる単純さと器用さを持ち合わせないままここまで歩んできたような彼女だから前々から葛藤の時間を抱えて過ごした中での決心に違いないと思いを巡らせながら、すごく気分転換にはなるだろうこと、また仮に失敗したとしても髪は伸びるから、を伝えた。顔が小さくスラリとした七頭身の彼女のショートヘアスタイルも見てみたいと、ローマの休日のヘップバーンヘアや中川淳一が描くショートヘアの少女たちが次々と浮かんでは彼女に重なった。


