2023-09-07

植物劇場

画集を眺めていて、ミュンヘンのある市立美術館が蔵している「植物劇場」というタイトルの作品を見た家人は、本物を見てみたいと感嘆の声を漏らした。日本画、西洋画問わず美術に関して歴史、作家、作品についての詳細をほとんど知らず、また絵を描くことにおいて何をどうすればよいものか取っかかりさえ思いつかない身だからなのか、家人のそんな独り言を流さず拾って、今すぐにドイツには行けなくても、春から夏にかけて開催していたマティス展のように今後作品の方が日本にやってくることがあるかもしれないから、そのときには機会を逃さず足を運んでみてはどうか促しながら気持ちを温める。美術の世界において語られる「美」とは別次元の、思わずこころが惹かれ目の前の絵を見つめ対峙する側の一瞬の横顔、無心の姿は美しい。

食用を目的とした果樹や蔬菜の生産園芸よりも、なぜか自然の風景に溶け込んだ草花の園芸を好む質であることに加え、隠花植物をも好む傾向にあるからなのか、絵画においてもモチーフが植物で色合いがくすんだ作品であればあるほど惹かれる。庭に生えた植物を移植し囲って作った小さなガーデンを家人が模写した頃から少し時間が経って頬を撫でる風がひんやりし始めた。目前の我が家の植物劇場の登場人物たちもそれぞれに色を褪せはじめた。いつの日にか、上手に枯らし、うまく取り扱えるようになってから、美留和で共に過ごした時間の堆積と命の証である押し花や押し草として思い出を閉じ込め、採取した日時と場所、天候のみを記した小さな個人的なアルバムを作成してみたい。


2023-08-13

原気

いつしか白髪のロングヘアになり歪んだ亀背に目が引かれるようになってからも、こころの内では彼女を出会ったころのままアン(赤毛のアン)と呼ぶ。年相応の身体の不具合や固有のハンディキャップはあっても声の芯にアンが見つかる。ところが先日、風音と間違うほどの小さなノックの音にドアを開けてみると、穏やかならぬ悲哀をまとったアンが玄関先に立ち尽くしていた。ただでさえ食が細く華奢なのに、消え入りそうになった彼女の背中を思わずさすった。悲痛な思いを胸に抱えるほどの体力がなくなっているのに食べるとむかむかしてどうしようもないから灸の施術をお願いに来たということだった。予定を調整してすぐに支度し彼女を訪問した。日頃から仰臥位も腹臥位も苦手な彼女なので座位で鍼や灸の施術をしているのだが今の体力と様子から、今回は台座灸を1箇所にのみ、あとは棒灸での施術を行うこととした。皮膚感覚の反応を見ながら、気の疎通と肝脾不和、腎陰虚の経絡の流中上の特に虚している経穴に灸をすえた。棒灸を近づけて熱く感じたら「ハイ」と言ってもらい、棒灸を遠ざけそしてまた近づけるということを繰り返す。小さい「ハイ」の声が次第に「いたっ!」「イダーっ!」「イデーっ!」「痛いよー!」「死ぬー!」など変化し織り交ざり、それはプリミティブな叫びとなって喪に服す彼女を彼女自身が癒しているように思えた。またその無防備な叫びは、5人兄弟で末っ子、4人のお兄さんたちの中で育ったという彼女の子供の頃の健やかさを彷彿とさせもした。痛みの皮膚感覚が脳に伝わると同時に情動を司る古脳にも響き無意識下ではあっても原気や原初の記憶が呼び起こされることが大切に思えた。バリエーション豊富なそれらの叫びは、彼女が生まれ持つ元来の健康や気質、知性の表れであると同時に人情の機微に触れるような暖かみをも発した。施術が終わる頃に、おもむろに彼女は話しはじめた。人生の80数年間、短くしたのは若い頃に一度きり、腰まで長くしていた髪を短くしようと思ってると言う。開き直ったり、もっともらしい言い訳を当てはめる単純さと器用さを持ち合わせないままここまで歩んできたような彼女だから前々から葛藤の時間を抱えて過ごした中での決心に違いないと思いを巡らせながら、すごく気分転換にはなるだろうこと、また仮に失敗したとしても髪は伸びるから、を伝えた。顔が小さくスラリとした七頭身の彼女のショートヘアスタイルも見てみたいと、ローマの休日のヘップバーンヘアや中川淳一が描くショートヘアの少女たちが次々と浮かんでは彼女に重なった。


2023-07-07

藪蛇

この季節、外から戻ると開口一番に「蛇に睨まれた」「蛇を踏みそうになった」「蛇がひなたぼっこしてた」のどれかを言う家人は人よりも誰よりも蛇とよく出くわす。蛇と言えば『永日小品』『蛇を踏む』『夜長姫と耳男』など小説の描写やモチーフとして扱われている蛇、はたまた八岐大蛇や世界保健機構や救急車のロゴに採用されているアスクレピオスの杖など世界の神話に登場する蛇などが、まず思い浮かぶ。民間薬としてマムシの焼酎漬けが各家庭に置いてあるような南国の田舎町で育った私でも車に轢かれた蛇はよく見かけてはいたものの、生きた蛇は草むらの中に遠目に気配を感じる程度で、ましてや蛇に睨まれたことも蛇と目を合わせたことなど一度もない。一方、家人の実家は首都圏から電車で20分くらい離れたほどの場所であっても50~60年くらい前までは、蓮田と畦道ばかりの風景が広がり、江戸川沿いや放水路が水浴びや釣りの絶好の遊び場であった。魚釣りや虫捕りと同じように蛇も捕まえたのだそうだ。白い蛇も見つけたことがあり、悪童数人で追いかけたが逃してしまったという。また小学4~5年生の頃のある日の夕方、屋根に何かが落ちた音がして2階にあがって確かめると、とぐろを巻いた蛇が突き出た1階部分の屋根上にいた。すぐに木刀を取りに行って捕まえようと試みたが頭を屋根の隙間に挟んだ蛇はみじんも動かず、あきらめきれないY少年は父を呼び「オレが首根っこを掴むからオヤジは尻尾を掴んでくれ」と頼んだが父は即座に「嫌だよ」と取り合ってくれず、ずっと蛇が気になって仕方がなかったそうだ。蛇は逃げるもの、逃がすものではなく、捕まえるものとしていまだに身体が思わず反応してしまうのだとしても、Y少年の頃は遥か遠くに過ぎ去った今、太古より生命力の象徴として、自然神として畏怖の念をもたれ崇められてきた蛇だけに、いつかしっぺ返しをくらい痛い思いをしやしないか落ち着かなくなる。もう誰も「蛇の道に蛇」など良いように勘違いしてくれることなどなく「藪蛇」にしかならないんだから・・・を呑みこむ。それにしても、ごくふつうの暮らしの中で目の前にする世界や風景の見え方、感じ方のズレや違いをまざまざと思い知らされるこんなときの衝撃こそ、まさにしっぺ返しだ。