2024-10-08

「友人」

隣町の一軒家で一人暮らしを始めた若いとき家族皆のアルバムをまるごと持ち出し、そのずっと後の北海道への移住時にも運んできたままであることが心残りだから、父母や兄たち、弟のものは引き取ってもらえる親族に返しておきたいという、彼女の決心を聞いてしばらくしてからアルバムの整理を手伝った。明治生まれの、当時としては珍しく、東京高等工芸学校(現千葉大工学部)で学び、時計の設計技術者であったという洋装で中折帽子姿のお父さんの革製のアルバム。彼女の小学生の頃の疎開先でもあった福島の、使用人がいたほどの大きな農家の生まれで、女学校を出て和裁の先生をしていたというお母さんのアルバム。お祖父さんが教育者だったこともあって孫たちも旧制高等学校で学んでいたというお兄さんたちのアルバム。「noblesse oblige ―高潔な若人が果たすべき責任と義務―」を校訓とし、大事業家によって社会貢献のひとつとして設立された私立の女子高に通っていた頃の彼女自身のアルバム。正方形の珍しい型のサイズに加え、現像の具合と仕上がりが他のものとは違う写真、これらは外交官としてドイツに赴任をしていた叔父さんが海外のカメラで撮ってくれたものだと言う。ひょっこり顔を出した記憶の断片が呼び水となり言葉が流れ始める。軍需工場と化した、お父さんが責任者であった時計工場への爆撃の爆風で片腕をなくし義腕であったという話。若くして胃癌と診断されたお母さんの摘出手術が東京第二国立病院(現東京医療センター)で行われたこと、術後の経過をテレビ番組に取り上げられることになり、不謹慎かどうかはともかくも、放送現場を知る滅多にない機会だからと中学生だった彼女も一緒に渋谷のテレビ局に連れて行かれたという話。高校2年生のときに癌でお母さんを失い、それからは彼女が男所帯の家事一切を引き受けたこと。ロングヘアを三つ編みにして闊達な表情で写る高校生の少女は普通科の合唱部でソプラノ、歌が得意だったこと。日比谷公会堂での発表会の様子が写る。たった1冊のアルバムにでさえ、語り尽くせないたくさんの思いと会話、時間が堆積する。ただの「お隣さん」として日々挨拶を交わす暮らしの中で伺い知得る、女性の一人暮らしにしては工具類を豊富に揃え自身で修繕を試み、服や帽子などは布をミシンで縫い、毛糸で編んで纏う。車は持たず、徒歩、バス、またはタクシーを利用、あらゆる買い物は町のお店で済ませる。古いものへの愛着も繕うかのような手作りの暮らしぶりを裏打ちする秘密を明かされる気がした。人を寄せ付けないと思わせてしまうような普段の彼女の言葉使いが、東京の山の手に生まれ、その地で育まれ身についた自然な言葉や態度、話し方であったことにも合点が行き、むしろ好感が増した。同時代に生まれ高校生の頃に出会っていたなら友達になれていただろうか。彼女とは母親や姉、妹または叔母や姪などの関係性を想像しにくい。言葉がきっぱり、しかし熱くも冷たくもなく正直で、子供であろうが大人であろうが相手を思い通りにしないし値踏みをしない、人格を否定しない(攻撃しない)。彼女はかつても、そしてこれから誰に出会っても「友人」の女性像を秘める人であり続けるのだろうと思う、ー 孤高の ー。


2024-09-04

美留和の森

私たちが暮らす集落の一画に突如「太陽光パネル設置計画」が浮上したとき、ちょっとした騒ぎになった。春には草花の芽吹きを、夏には朝靄を、秋には色づき朽ちていく草花木々を、冬には凍てつく雪原を眺めながら往来する生活道路からの景観を惜しむ声が大半を占めた。だからなのか、第一声に「オオジシギ」のことをあげて下さった有識者の二つの声は不意をついた。春先の、あの特異な鳴き方と飛び方に誰もが驚き否が応でも自然と名前と顔を覚えてしまう鳥。ー 草原、湿原などに生息。単独、または渡りの途中に小規模な群れを形成する。食性は動物食傾向が強い雑食で、主にミミズを食べるが昆虫、種子なども食べる。繁殖形態は卵生。繁殖期には縄張りを形成しオスは縄張り内を鳴きながら飛翔した後、尾羽を拡げ羽音を立てながら急降下、という行為を繰り返し求愛する。枯草などを組み合わせた皿状の巣を地表に作り、4~6月に1回に4個(稀に3個)の卵を産む。メスのみが抱卵すると考えられている ― 春の到来とともにこの地に当たり前のようにやってくる渡り鳥の住処が北海道においても数少ない稀有な場所であることをあらためて知る。休耕地ではあってもプライスレス(無価)の土地、水資源、温泉源が投機目的で売買されるとき、個人の内面の基準がオオジシギやシマエナガたちの生命のあり方に一致する彼らの視点に無価の意味を教えられる。

その方が霊長類学者であることは後になって知ることになったのだが、旭山動物園の絵描きの方とお二人でお泊りにいらしたことがあった。世の中、いろんな会話があるけれども、その夜にはまさかの「ゴリラ話」。静かではるが、夢中で真剣に思いが交わされる光景はゴリラ愛に満ちてほほえましいもので、しかし、ペットとしての動物に対する視点とは少し違い、自然全体の中で生きる人間と動物を対等に捉えるときの、あってしかるべき緊張感を伴う厳しさがあった。「味方を作らないと敵も作らない」そのようなことも語っておられたように思う。敵と味方、善と悪、生業、思想信条など一切合切の概念の土台には乗らない価値が危うく時代の流れに呑まれることなく、今回の太陽光パネル計画は撤回された。議論の端緒に無価の価値を暗黙の了解とする美留和のシマエナガの伝道師と思いを交わし共有する。


2024-08-04

達人たち

ひょんなことから家壁の修復をお願いすることになった職人さんは我が家の庭に降り立っただけで、映画ジュラシックパークの恐竜博士のモデルになった考古学者さることながら壁以外に家周辺の不具合に通じるだろう問題点を挙げられた。それが私たちの初対面のあいさつ代わりとなった。弟子屈で生まれ育ち、御年80歳を優に超えているというその建具職人さんの手仕事の美しさはもちろん、風の流れ、雲の動きや厚みの変化によって仕事の段取りを調整するやり方に惹かれた私は内心「デルスウザーラ」と呼ぶ。家人は「師匠」と呼んだ。師匠を追いかけ愉しそうについていく家人はお祖父さん子であったという子供の頃を彷彿とさせた。動物の習性、種に至るまでの植生、木々や動植物に関する生きた知識に驚き通しだ。分からないことはその日の帰りに図書館に寄って図鑑で調べ翌日必ず私たちに共有して下さる。環境や生活に直結する時事、政治ネタまで話題は尽きない。動画やSNSからの、小手先のもっともらしさとは格が違う身体からの直感、知性の現れに感動すら覚える。時代や場所を変えても狂うことのない方位磁石のようだ。私も参加させてもらえる10時とお昼、3時の束の間の休憩時間が待ち遠しい。お昼には冷たい麺類を、甘いものが好物だと知ってからは水ようかんにコーヒーゼリー、水饅頭にプリン、蕨餅などをせっせと拵えた。補修作業が終盤に差し掛かり師匠とのひとときをなごり惜しく感じるようになった矢先、木彫りパンダの写真付きの葉書が届いた。モデルは里子で出したパンダの「マシューマン」。やはり御年80超えの女子3人組みの、子育てをして、孫を見て今ではひ孫も見ているという「育てる」ことにおいては大変頼りになる大先輩たちからのメッセージは愛に溢れる。他の里親にもらわれていった「カン」と「トシユキ」もそれぞれ大事にされている様子が目に浮かぶ。我が家の子たち ─ 小康、ボス、ゆず茶、ミケ、エイスケ、トナカ、トン、チン、ミケ ─ も変わらず元気であることを返信の便りに書き添えた。