2022-11-20
「モノ」
電化製品に不具合が生じると町の電器屋さんに修理をお願いし、新しく入手する際もその店の取り扱い商品から選んで購入しているという老女は「いいね」や星の数はもちろん、ネット上での価格比較やポイント還元が後押しする購入とは無関係の地元の商店からほぼ暮らしに必要な品々を調達している。書籍に関しても同様で、しかし書店と言っても分野や作家ごとに書籍が並べられたり平積みされているわけではなく地元の子供たちが使うための鉛筆やノート、ドリル類などの文房具が置いてあるような店構えで、書籍に関しては基本、注文発注になる。届いてみて手にした商品(書籍)が期待通りでなくても、あるいは自分の目利きに間違いがあって、作家や編集者、作り手たちの姿勢、その本が生み出されるまでに至る来歴や背景をも考慮したうえでの判断を仮に外したとしても、優劣の単純なレッテル貼りを逸らす本であれば買い物の失敗の仕様がない。そういうわけで老女にならって、書籍は町の書店から買うことにした。美留和に移り住んで21年来、決まって年に1回だけ図書券、図書カードを購入する以外にその店に立ち寄ることはなかった。注文の手間暇よりも届くまでにも時間がかかって心配したが便利不便、損か得とは別の、私にとって価値あるモノの所有の手続きとしては見合っているようにも思えた。
届いた画集の全体的な色味と質感は、おおよそ新しいものが見当たらない老女宅の採光に混じり入る30年以上前の製品とおぼしきラジオから放たれるノイズ込みの音を思い出させた。その光と音は、彼女の言葉でいう「いかれポンチ」になっていてもう部品が手に入らず、手持ちの道具と材料で仮に直してある外国製のドアノブのおかげで閉じ込められることがない。時々いかれポンチになるらしいレコードを聴くための大きなオーディオセットも今のところ救われているようだ。多少不細工であってもどうにか生き返らせようとする老女のこころのありように大切なことを教えられる。



2022-10-14
雪の森生まれ
あたかも人の子であるかのように「康代」と呼ぶお宿かげやまは2003年1月にオープンした。美留和との出会いはそれを遡ること1997年の冬、当時まだ区割りすらなく、すっぽり雪に覆われた原生林を目前に、このへんをこれくらい、と不動産屋さんの手中の真っ白な地図にかじかむ指で小さく囲んだのがはじまり。父母たちの子に対する無償の思いや切実さには到底及びようもないが、私たちは康代を巡ってそれぞれに深く関わり合いながら過ごしてきた。時には思いがすれ違うのをよそに、贔屓に、そして大事にして下さるお客様のお蔭もあって康代らしさは時と共に自然と育まれてきた。お父さんっ子の箱入り娘も年が明けると21歳。康代が二十歳のうちに、そして父さんの還暦にもかこつけてと言うことにして、ようやく薪ストーブを据えることにした。
オープン当初、置くのであれば国産メーカーのものを漠然と希望したばかりになかなか会えずじまいのまま時が流れた。ここにきて康代にとって願ったりかなったりの出会いがあり、事がとんとん進んだ。永禄3年、西暦で言えば1560年創業、つまり戦国時代から鋳物生産をされているという老舗のストーブ。最近、特に若いお客様たちの反応からリノベーションを思わせるらしい古さが入り混じるようになった宿の空間と言っても、梵語で火神と名付けられたagniの落ち着きぶりを前にするとまだまだひよっこ。康代が1歳の誕生日記念にやってきた木の精霊宿る「王様の椅子」に加え、20年越しの火神宿る「AGNI」は厳冬生まれで道産子の康代にはよく似合う。



2022-09-10
父
「これあげる!」と片手いっぱいの草花をそのまま手向けるよう天を仰ぐ。早朝の秋風が混ざるようになった冷たい空気は、飛行機を乗り継ぎ新幹線と在来線を乗り継いで帰り着いた先に横たわる父の躯に触れたときの指先の感覚を呼び起こす。
急でもなく、かといって前々からご予約頂いていたわけでもなく、ある日、ご高齢のお父さんを連れていきたい、全館貸切のコースでお願いしたいとのご予約を受けた。豪華で何でも揃う高級旅館などとは異なるかげやまで良いものなのか、内心心配しながら確かめるように尋ねると、一度ご友人といらして下さり勝手を知るお客様であることが分かった。間もなく米寿という実年齢は当てにならないほど、お会いしたお父さんの心身共に溢れる健やかさに、皆がつい「お父さん」と呼んでしまいたくなるようなお人柄だった。決して重たくもなく押しつけがましくもない、素朴に娘を慮る父の内面がお父さんのお姿にまっすぐ現れるたびに美しいと感じいるばかりだった。そんな父性のようなものに亡き父を重ねながらお聞きするお話はじんとして、また楽しく、そして充実した。日本海の漁師町に生まれ育ったお父さんは、体が大きくはなかったことから家業は継がなかったこと、野球選手に憧れたけれども当時はユニフォームを購入できる家庭の子供しか野球部に入れなかったことで夢破れ、その後漠然と芸術家、特に楽器を弾く音楽家に憧れを抱くようになった。けれども自分は夢を果たせなかった、その後お母さんと出会って、お母さんの夢もまたピアニストだったことから、娘が小さい時に自分たちの夢でもあったグランドピアノを買ったこと、そして娘であるお客様は必然的に象られた道を辿るように音楽大学でピアノを専攻。その後、お客様はピアノからはしばらく離れていたものの今度は演奏を楽しむことを第一に再びあらためてグランドピアノの鍵盤を触るようになったというお話だった。さらに、ご自宅が古くなってグランドピアノを置いておくにはこころもとないのでかげやまのような空間にリノベーションしたいということも明かして下さった。
お父さんとお会いしたことから父との記憶が引き出され、母性と比べ分かりにくい父性の強さを裏打ちするかのような繊細さを反芻しながら草花を器に生ける。草花に、そして今晩お迎えするお顔なじみのお客様に似合いそうな器を選ぶ。花も食事もそれに似つかわしい、ふさわしい入れ物があるように、先日のお父さんは、2階の部屋に置いてあるというグランドピアノにふさわしい器としての、しっかりとした家造りも同時に成されたはずであろうことを思うと建築の体躯にまで関心が拡がった。


