2022-07-21

やさしさと慈しみ

1923年7月末から約2週間をかけて宮澤賢治は北海道からサハリン(樺太、サガレン)を旅している。当時サハリンの南半分は日本の領土だった。前年の晩秋に亡くなった妹トシを悼み、花巻から青森、青函連絡船で北海道、汽車で稚内へ、船で宗谷海峡を渡り大泊へ、そして豊原から栄浜までの旅程に沿うように「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」「鈴谷平原」などの一連の詩が生まれた。妹の死の直後に書かれた「永訣の朝」や「松の針」「無声慟哭」に現れていた感情よりも歳月を経て、今ここにはいない妹への思慕が募る。宮澤賢治は耕す人であり、詩人であり、描く人であり、また祈りの人でもあった。



二十歳前の一時期、院生や教職員が主に利用し学部学生の姿はほとんど見かけることのない理系大学の図書館でよく出くわし、ふたことみこと交わす程度の淡い交わりが細く長く続いた友人の6回目の月命日に、北海道の東の果てにて宮澤賢治の作品を再読する。ゆったりと聞き役に徹しながら、光を遮るようにまなざしを遠くにはせて傾聴する彼は私にとっても、周囲の誰かにとっても兄のような人であったことを思い返す。


2022-06-22

名前

スコップを持つ手から体に、明らかに土とは違う衝撃が伝わるたびに、三つの「石」を思い起こした。もっと正しく言うと、石のつく姓のことで石牟礼、石抜、出石・・・など私よりずっと大先輩で、敬愛する女性たちのことを思い出していた。先日、とあることから係わりあったやはり同じ年嵩の女性も「石」の持ち主だった。石の王と書いて石王さん。先祖が何かしら石と関連した職業や土地の出身だったのだろうか・・・など、ついちまたの陰謀論や黒い影として噂される海の向こうの石工たちと並べてしまいがちな貧弱な発想を払拭するかのような響きをもつその姓に耳だけでなく、そのお人柄にも魅了された。石工たちを支配下に置くような威厳ある姓だからなのか、その持ち主のお声や話し方、身のこなしの柔和さは余計に際立って受け止められた。石王さんからの贈り物に同封されていた小冊子が自然食、自然療法の先駆者として語られる女性によって刊行されたもので、しかも数十年にわたり発刊し続けられているものであることを初めて知った。昔から連綿と語り、受け継がれてきた暮らしの知恵や工夫が紹介されていた。小冊子に編まれた言葉でさえ何かしら滋養になるようなそんな健全さが現われていた。



遠く離れたご家族からの突然の依頼で様子を確認に伺ったときに、電話に応答できないほど大そう具合を悪くされていたというご近所さんに、私が知る限りの、できる限りの自然療法に加え、石王さんを通して教えて頂いたお手当てを3日間続けた。そして、恐らくその小冊子を今、最も必要とされているだろうその方に届けた。内気で静かな性格に加え、見るからに東洋医学で言うところの「虚」の体質のご近所さんの分からなさや遠さは20数年のお付き合いの中においてはちっとも不自然ではなかっただけに、突如、何の衒いもなく姓ではなく私の名前を尋ねられたときには、驚きを呑みこんだ。自分でもあらためて確認するかのように三文字の名前を伝え、私も彼女に倣って衒うことなしにお名前を聞き返した。


2022-05-10

土の匂い、鳥の声、水の音

遠くの山並みの風景に薄桃が加わった。色、香、音が次々に春を映す。この時季の陽気は特に私たちを外に誘う。湧き水を汲みに。土を触りに。花の水やりに。まだカッコウの鳴き声は聞かれないものの、夏が短い美留和のこと、早速、家の中に置いておくプランターに種まきをする。ズッキーニ、キャベツ、ミニトマト、バジル。ニンジンはもっと暖かくなってから直播。美留和の腐葉土と取り寄せた固定種との相性やその他環境条件などによって、今年どの程度発芽し、育つものなのか分からないけれども、色んなことを思い巡らせてくれる「土と種」に理由もなく惹きつけられる。

ご近所さんが庭の辛夷が咲いていることを知らせて下さった。花開くその瞬間に立ち会いたいと、今朝もまだ固い蕾を確認したのは数時間前だったにもかかわらず、こちらもあっさりとお昼前の陽気に誘われてしまったようだ。