2021-08-11
盂蘭盆会
気候変動の影響に重ね年齢に伴う体質の変化も合わさってか、南国で育った幼少時の皮膚感覚が不意に反応する。髪の毛や肌着がじっとりと体にくっついていない部分を狙う蚊の鳴き声と共に真夏の夕暮れ時の感覚が飛び出てきて、ここが北東の端であることに驚く。祖父母を始め大人たちは灯した提灯を片手にお喋りに花咲かせ、子供たちは焚かれた蚊取り線香の煙を浴びながら小高い丘の上にあった墓地を目指した。火葬の過渡期だったかと思うのだが、その墓地の仏様たちは大半が土葬で眠っていた。お墓では大人たちのお喋りのトーンは抑えられ信心深いふるまいに変わった。
時代が下り、実際のところはよく分からない現行の感染症、とりわけ予防効果はないけれども、感染したときにもしかしたら症状を軽減できるかもしれません、というおみくじのような対応策との関連性は不明なものの、お亡くなりになった多くのご遺体の対応に間に合わないらしい米国では州によっては新しいやり方の水葬で葬られるそうだ。動物の排せつ物や遺体処理技術の転用だ。いつかは土に還り、水に還り消えていくものだけれども、何かに捕食されながら還ってゆく従来通りの水葬ならば気持ちに沿うアナログ体質な者にとって、薬剤で溶かし水に流してしまうというアクロバット的な芸風は落ち着かない。亡き義母や父の火葬のあの日から時が止まったような感覚が残るのも、亡骸に宿る時間をどこかに追いやってしまったからなのだろうか。



2021-04-30
button
いつしか「おふくろ」と呼ばれるようになったらしい妹からの春の便りに制服の第二ボタンとネームプレートが同封されていた。少年Jが中学を卒業し高校生となった。ある事情で母親と離れて暮らさなければならなくなった赤ん坊を抱かせてもらい夜の外に連出し、お披露目をするかのごとく星空に向かって「新参者です、よろしくー」と即興の子守歌に時々モロー反射で応えるJとの記憶はちっとも色褪せていないせいなのか15年の月日の流れに実感が伴わない。あのおちびさんがいったいどんな抑揚で「おふくろ」と呼びかけているのか、Jの手書きのお礼状の文字を幾度読み返してみてもちっとも想像がつかない。いずれおふくろも卒業して独り立ちしていくことは分かっていても親がいつまで経っても親であるのに似ていて、少しだけ先に生まれ先に死んでゆく者としてのまなざしと距離感はそうそう変わるものでもないらしく、いつまで経っても私にとってのJは玉のように美しい赤ん坊のままだ。
母や私に、もっとそっと抱き上げるよう合いの手を入れるようになり、無骨とばかり思っていた父の本質を目の当たりにし理解に近づけたのもJの誕生のおかげさま。第二ボタンとネームプレートは父の遺影の横に置くことにした。



2021-03-20
もだえかせ
10数年前、まだ健在にもかかわらず全集の刊行を始めるという、その作家に対して特別な思いをかける稀有な出版社の近くに住んでいた。
震災が起きて間もない頃、当時週に1回足を運んでいた現代思想哲学の勉強会でその作家ー石牟礼道子ーの名前を耳にしたときには大変驚いた。とりわけ震災後の言葉を失い、八方ふさがりの出口がみつからないような状況下において、戦争や医療思想史から芸術に至るまで人間の営みであればジャンルを問わず理路整然かつ正確な言葉で現代を理解できるよう、一般的にはフランス哲学者として紹介される、その道先案内人からまさかこの作家の名前が出てくるとは思ってもみないことだった。ーこういうときに例えば石牟礼道子さんの書かれたものを読むといいかもしれないーと話の最後に付け加えられた。この季節がくると、奇しくも3月のその日が作家自身の誕生日であることもあってか、あの時のことから以降の時間を辿り直してしまう。先日、ある専門誌の巻頭言に(3年前のバックナンバー)石牟礼道子の名前を見つけた。鍼を用いずに治療をされることで有名な鍼灸師の寄稿文で『石牟礼道子さんに背中を押してもらった私の鍼灸人生』というタイトルだった。10年前の案内人のときのようには驚かなかったものの、訳もなく妙に納得した。鍼を用いた水俣病の治療から始まり40年以上もの臨床経験を積み重ね、やがては鍼を用いない集大成としての陰陽太極鍼の一度きりの秘密の開示のように思えた。先人たちの、どうすればよいのか全く分からない状況のなか、崩れたバランスや違和感を正すとき患者さんの声を聴き手を動かしリセットし続けて来られた経験の確かさは、これからもさまよい続けるだろう頼りない足元に方向を指し示す。


