2020-03-20
Optimism as an act of will
春だな。
口から飛び出したコトバに思わず納得した。少年Jからの、パステルピンクの下地に、黄色の蛍光ペンで描かれた文字の並ぶカードはフリージアの花束を思わせた。遺伝子のかく乱や形態変化の不自然にも関わらず、冬から春への大きな変化ある光にまっすぐに応える植物群落とは逆行するように後ろめたさのような影が感覚を、コトバを、阻んでいた。
エコロジーも現行の感染症でさえも対症療法的なしのぎはやむを得ないとしても、してやったりが相殺されるような演出はもうたくさん。行きづまりのとき、迷ったとき、さまざまな分野で言われる「古典に返れ」ではないが、目先の新しい何かを創造することに躍起になるだけではなく、極めて古い何らかに目を向け、理解し解釈しなおしてみる。手間暇が必然の、人であってこそ可能な再編集を裏打ちする直感力を退化させないこと。先人たちが2000年、3000年積み上げてきたものが奇跡的に残っているとするならば(コトバや私たちの命さえも)それらをうっかり破壊しないこと。アフリカの後天性免疫不全症候群を併発する結核に伝統医療の灸が有効であるように青い鳥は実は近くに隠れているのかもしれない。
カードに並ぶ、まじめ過ぎず固すぎず、かと言って砕けて柔らかというわけでもない押し付けがましさのないのびやかな筆跡は、Jが赤ん坊のころの柳の新芽のように小さく、しかし精密に設計された確かな意思をもつ手指に重なった。こんな雰囲気漂う文字を書ける手の運び方と速度で暮らしを立ててゆきたい。


2019-12-31
祖父母から子へ、子から孫へ
三つ子が生まれ若くして父親になったばかりの家人と2人して子育てに必死だった、という家人の夢の話に心が弾んでしまい、それからは夢の続きを見たのかどうかが朝の挨拶代わりとなった。
もう何度も見てその当時の時代に感じ入り似たような思いを確認するにも関わらず、里帰りをするこの時季には家族写真のアルバムを開く。色褪せた写真の、生まれたばかりの赤ん坊が大事に包まれ抱かれている様子は飽きることがない。時を超えかけがえのない幸福を放つ。若い義父母も眩しく美しい。その後の、例えば、やんちゃすぎた高校生時代の家人の始末に、幾度か校長室に足を運んだというエピソードを筆頭に、きっと絶えなかったであろう亡き義母の苦労や心配は直接耳にすることはなかったものの、常に変わることなく大きな愛で包み続けて下さっていたことだろう。そんな義母の愛の芽のようなものを今の家人の中に見出してはつくづく感謝の念を抱く。切実さや苦労の次元は全く及ばないけれども、子供のない私たちにとって「宿が子供みたいなもの」とお伝えすることがあるのだが、我が家の箱入り娘はお父さんっこで、両父母を始め多くのお客様に恵まれ愛され育てて頂き、いつかしらか自然と個性が象られてきた。お蔭様で年が明け1月3日で満17歳を迎える。
いっぽう、生まれたばかりの夢の中の三つ子の行く末・・・初夢でなくとも、続きを見てみたい。



2019-11-06
暮らしの繕い
難度の高い修繕や手持ちの道具、材料の制限から専門家にお願いすることを除いて私が子供の頃はありあわせの部分品を細工してかすがいの代わりにする暮らしがごく普通に根付いていた。特殊な作りのフックが壊れ外れたことで眠らせておくしかなかったブーツを引っばり出し、手先が器用な友人宅に持参してみると、お喋りはそっちのけでさっそく彼女はその構造や仕組みを丹念に調べ始めた。示されたいくパターンかの修繕方法の中で私が選択した解決策にいまひとつ不服ながらも、ジッパーや皮部分に付加のかかりすぎない道具の選択、そして彼女自身の力加減を細やかに使い分けての作業が進められた。片側のブーツが息を吹き返そうとするころになってもなお彼女の手の動きは、壊れていない側のフックがどうにか壊せないものか探り続けていて、両方同じものに揃えなくてもよいのか?を重ねて問うてきた。まだ十分使えるものが使えないときのもったえなさが解消される喜びとは違う、眠らせていたこちらの愛着が繕われたことで充分だった。
日頃慕う友人とはまた別の側面の、ふと垣間見た職人魂の彼女を敬う思いが、このブーツに足を通すたびに思い起こされることになるだろう冷たい冬の季節が到来する。


