2019-02-10

花・魚・虫

夜の長さの節を分かつ時季のカーテンの布目を透る朝いちばんの陽光に目を覚ます。雪の反射光をスポットライトにして一層眩しい光は木々に芽どきを呼びかける。読み直していた南国の海原で育まれた少女の物語の色合いと氷点下30℃の雪原に広がる景色が頭の中で溶け合う。

祖父母の家の椿の木が牛舎とともに記憶の中の春として匂いたつ。子牛の名前が「みっちん」ではないが「みいちゃん」だったこと、
そして牛たちは人間の言葉が分かると言っていた祖母の声が懐かしく思い起こされる。みっちんのように小さな生きものやモノを言えぬ者たちの思いや声を映しとる力をおばあさんになっても、人間であることが恥ずかしいと言わせたほどなお環境が奪われ汚され破壊され続けるなかヒトの耳の力を研ぎ澄まし続けた作家を思い、しぼみがちな気持ちに小火が灯る。

南国の山の木々が春を装い北国の海原で春を告げる魚が巡る頃、雪氷に覆われた大地の奥底では何やら無数の命の気配が蠢く


2019-01-13

ふるさとに帰るたび古いアルバムを見る恒例の儀式。どこかしらか母が引っ張り出してきた姉、弟、妹3人分の色あせた通知表もなかなかそれぞれにおもしろい。そして後輩でもある姪っ子の新しい通知表を手にし、ほぼ半世紀経った今でも通知表の大きさ、デザイン、評価様式(良い、普通、努力しましょうの3段階)が変わらないことを知る。

9歳になった子供たちにとっては今の時点で通知表の結果が頭の良し悪しに結びつくものではなく、ぐんぐん伸びる子やじっくり根を張っていく子などタイプの違いがいくつもあって、Rさんは幸運にも土からの水や栄養を頂いて素直にぐんぐん伸びている状態で、これから何年かかけて花を咲かすの、花が咲いたときに頭の良し悪しが問われるのよ・・・を伝えると、逆に私がどんな花を咲かせているのか問われドキリとした。

1回咲いてはみたんだけど、望んでいる花ではなかったことに気づいて、今度は自分で慎重に土や水や栄養を選んで咲きなおしているところ、Rさんと同じ今でも伸びたり根を張ったりしているところ!と伝える。

同じ質問を向けられた家人ときたら、間髪おかずに「オレ、押し花‼」⁇⁇

触れかたをまちがうと消えてしまいそうな綿菓子のように繊細な感性をも合わせもってしまった彼女からあどけない屈託ない笑いを誘いだした。


2018-12-31

めぐり(巡り、回り、廻り)

年の離れた友人から「本年でいったん年賀状を卒業させていただきます」という一文を添えて年始の挨拶を準備していると聞き
習字の師範である彼女にとったら腕をふるう数少なくなった機会でもあるだろうになど言葉に詰まっていると
周囲の知人友人が亡くなる中で、まだ余力があるうちに終活を開始したことを、明るくいつものようにユーモアを交え話してくれた。

突然義母が亡くなった8年前の昼過ぎ台所には年の瀬特有のお正月のための料理の準備、仕込んだ漬物が残された。
当時はまだ終活というコトバはあまり耳にすることは多くはなかったが、義母に関するものは人間関係から
箪笥の中味、お金にいたるまで慎ましやかに整理整頓されていた。周忌を重ねるごとに義母の人となりの根底にある
普通のことを手間を惜しまずに繰り返すことの確かさをあらためて理解する。そして、そんな義母に慈しみ育ててもらった家人は
いったいどんな子供時代を、どんな青年時代を送ってきたのか古いアルバムを開きながら繰り返したずねる。加えて、そんな
義母を射止めた義父にも若かりしころの義母とのエピソードをあきもせずにたずねる。

雪に閉ざされ、しんと静まりかえるこの季節だからか墨の膠のにおいが生きものの生生しさを思い起こさせる。文字が命の絶えた生きものの骨と皮からエネルギーを頂く。
「お正月には帰ります」と両親に向け筆を走らせた。