2019-01-13
花
ふるさとに帰るたび古いアルバムを見る恒例の儀式。どこかしらか母が引っ張り出してきた姉、弟、妹3人分の色あせた通知表もなかなかそれぞれにおもしろい。そして後輩でもある姪っ子の新しい通知表を手にし、ほぼ半世紀経った今でも通知表の大きさ、デザイン、評価様式(良い、普通、努力しましょうの3段階)が変わらないことを知る。
9歳になった子供たちにとっては今の時点で通知表の結果が頭の良し悪しに結びつくものではなく、ぐんぐん伸びる子やじっくり根を張っていく子などタイプの違いがいくつもあって、Rさんは幸運にも土からの水や栄養を頂いて素直にぐんぐん伸びている状態で、これから何年かかけて花を咲かすの、花が咲いたときに頭の良し悪しが問われるのよ・・・を伝えると、逆に私がどんな花を咲かせているのか問われドキリとした。
1回咲いてはみたんだけど、望んでいる花ではなかったことに気づいて、今度は自分で慎重に土や水や栄養を選んで咲きなおしているところ、Rさんと同じ今でも伸びたり根を張ったりしているところ!と伝える。
同じ質問を向けられた家人ときたら、間髪おかずに「オレ、押し花‼」⁇⁇
触れかたをまちがうと消えてしまいそうな綿菓子のように繊細な感性をも合わせもってしまった彼女からあどけない屈託ない笑いを誘いだした。


2018-12-31
めぐり(巡り、回り、廻り)
年の離れた友人から「本年でいったん年賀状を卒業させていただきます」という一文を添えて年始の挨拶を準備していると聞き
習字の師範である彼女にとったら腕をふるう数少なくなった機会でもあるだろうになど言葉に詰まっていると
周囲の知人友人が亡くなる中で、まだ余力があるうちに終活を開始したことを、明るくいつものようにユーモアを交え話してくれた。
突然義母が亡くなった8年前の昼過ぎ台所には年の瀬特有のお正月のための料理の準備、仕込んだ漬物が残された。
当時はまだ終活というコトバはあまり耳にすることは多くはなかったが、義母に関するものは人間関係から
箪笥の中味、お金にいたるまで慎ましやかに整理整頓されていた。周忌を重ねるごとに義母の人となりの根底にある
普通のことを手間を惜しまずに繰り返すことの確かさをあらためて理解する。そして、そんな義母に慈しみ育ててもらった家人は
いったいどんな子供時代を、どんな青年時代を送ってきたのか古いアルバムを開きながら繰り返したずねる。加えて、そんな
義母を射止めた義父にも若かりしころの義母とのエピソードをあきもせずにたずねる。
雪に閉ざされ、しんと静まりかえるこの季節だからか墨の膠のにおいが生きものの生生しさを思い起こさせる。文字が命の絶えた生きものの骨と皮からエネルギーを頂く。
「お正月には帰ります」と両親に向け筆を走らせた。


2018-07-08
雷雲
サッポロビールの星マークの由来を知っていますか、の問いに
あてずっぽうに函館の五稜郭との関連の有無を口にしたばかりに
父の旧知であるというその人は乾杯をおあずけにクラシックの瓶を手にしたまま
薩摩藩がパリ万博に出かけたときの逸話に至るまでを解き明かしてくださった。
故郷の話やいつしか父の話に及び、私もあなたのお父さんも若かったからよくやりあった、
意見が対立したことさえも好意的に展開される語り口に内心同調できずに
15歳の頃には実家を離れたせいか、父が何を思いどのように仕事をしてきたのか
実はよく分からないでいることを明かすと
あるひとりの人物を象るかのように語りほぐしてくださった。
父のことだから大した理由などなく、愚直に親しみを抱いたであろう西郷さんの
日本人に対して発した最後の言葉であるという官軍総督官宛への手紙のことが書かれた本を読み
「敬天愛人」に込めたというより、むしろこの言葉に選ばれた西郷さんの在り方を
あらためて受け止めたときと似たあやまり(誤りと謝り)を自覚した。
天地自然の道理を言い、その天理道理に外れた者はたとえ時の皇帝であろうと認めない
というほど西郷南洲の思想は良知を言い知行合一を説いた。
時代が下り、天候を操る術さえ得てしまい迷子になっているとき
鮭が遡上するよう人は天地自然の道を辿りなおすことができるのだろうか。
雨が小石や葉っぱに当たる音が弾けて
水は土ばかりか体に染み入り
胸奥の雲翳を揺らす。

