2019-11-06
暮らしの繕い
難度の高い修繕や手持ちの道具、材料の制限から専門家にお願いすることを除いて私が子供の頃はありあわせの部分品を細工してかすがいの代わりにする暮らしがごく普通に根付いていた。特殊な作りのフックが壊れ外れたことで眠らせておくしかなかったブーツを引っばり出し、手先が器用な友人宅に持参してみると、お喋りはそっちのけでさっそく彼女はその構造や仕組みを丹念に調べ始めた。示されたいくパターンかの修繕方法の中で私が選択した解決策にいまひとつ不服ながらも、ジッパーや皮部分に付加のかかりすぎない道具の選択、そして彼女自身の力加減を細やかに使い分けての作業が進められた。片側のブーツが息を吹き返そうとするころになってもなお彼女の手の動きは、壊れていない側のフックがどうにか壊せないものか探り続けていて、両方同じものに揃えなくてもよいのか?を重ねて問うてきた。まだ十分使えるものが使えないときのもったえなさが解消される喜びとは違う、眠らせていたこちらの愛着が繕われたことで充分だった。
日頃慕う友人とはまた別の側面の、ふと垣間見た職人魂の彼女を敬う思いが、このブーツに足を通すたびに思い起こされることになるだろう冷たい冬の季節が到来する。



2019-09-29
中陰
少年Jは1輪の白い切り花を握りしめたまま彼のおでこをその人の冷たいおでこにしばらく重ねていた。ほんの10数年前の、Jが誕生したばかりの玉のような赤んぼうだった頃、その人が壊れものを扱うように顔を寄せ、ほおずりをしていた分のお返しをするかのように。
ユリ、トルコキキョウ、カサブランカ、菊、カーネーション、スプレーマム、リンドウ、ケイトソウ、グラジオラス、デルフィニウム・・・おひとりおひとりの手によって添えられた生花をまとうその人を目の当たりにし、初めて本当の姿を知る思いがした。50数年前の初秋の頃、長女の誕生を迎えて若い父親になったばかりのその人の胸に抱かれていたであろう赤んぼうの幸福を、時を超えて深く思う。
網膜に焼きついた少年Jの別れの自然なしぐさは、いつかの、誰かの、皆の、光の記憶として繋いでおきたい。


2019-08-13
クマさんのように
例年になく今年はクマの目撃情報が多いという。
実際に出くわしたことがないからなのか、物語や神話に出てくるイメージが強いからなのか、気をつけるよう伝えて下さる方との温度差を埋められないまま先日ふと目にした熊の語源にまつわる話を思い出していた。
自然の「然」が熊や犬の脂肉を燃やすことを示し、「然」は「燃」の原字であるということも生き物の根源を想起させ興味深いのだが、能力の「能」が本来、熊を意味し、「熊のように粘り強い」や「熊の肉のように粘り強く燃える」から「物事をなしうる」という意味が生じたのだという。短い今年の夏休みは、3000年以上も前の人々が込めた思いを漢字に読みとり、そのピントで物ごとを捉えなおしたときの気持ちや思考の変容とも言える内面の小さな旅が続いた。そんな旅の終わりに届いた、研究者であり教員でもあるとある友人からのメールの、常に若い人たちへ向けているというメッセージをあらたに受け止めた。
「自分のセンスと能力を信じよ、自分の価値観で物事にプライオリティをつけよ、覚悟して自分で決断せよ、その結果を引き受けよ、間違っていると思ったら別の選択肢を考えよ。」
もう全然若くはない身の丈で彼女のメッセージを編みなおし、年と共に次第に動かなくなっていくであろう身体を持て余しつつ不安や不快をも友に孤独と自足を身につけ備えておきたい、まだまだ元気なうちに。

