2019-03-24
産みのおやはお父さん
パンダの赤ちゃんがやってきた。名前は身もふたもなく康康(カンカン)の子供ということで小康(コヤス)。
生き物でもなんでも小さいものはかわいらしいものだが、”この子を彫っている間はいつになく楽しかったなー”
と、木彫り人の素朴な物言いに思わず笑みが零れる。
産後の肥立ちがあまり悪くならないうちに痛めた利き手の親指側の筋を辿って素人にも探りやすい合谷やさらに辿った先の手三里と呼ばれる経穴(ツボ)の周辺をほぐす。ふかふかした掌は育児嚢を思わせ、ぬくもりは産みの父さんと赤ちゃんパンダさんの幸福な時間の事蹟のようにも思え宝ものに触れるかのようにお手当した。
春先の陽光が生きものたちや植物を目覚めさせるように、人どうしの係わり合いの中で生まれる何かが身体の奥底に未だ眠ったままの健やかさや笑みの芽に届くとするならば、それらの芽を自身でどのように育てるのか、あるいはふさわしくない芽は摘取ってしまうほどの力と潔さを備えたいものだ。コヤスがやってきたこの春先の門出には特別な思いが重なる。


2019-02-10
花・魚・虫
夜の長さの節を分かつ時季のカーテンの布目を透る朝いちばんの陽光に目を覚ます。雪の反射光をスポットライトにして一層眩しい光は木々に芽どきを呼びかける。読み直していた南国の海原で育まれた少女の物語の色合いと氷点下30℃の雪原に広がる景色が頭の中で溶け合う。
祖父母の家の椿の木が牛舎とともに記憶の中の春として匂いたつ。子牛の名前が「みっちん」ではないが「みいちゃん」だったこと、
そして牛たちは人間の言葉が分かると言っていた祖母の声が懐かしく思い起こされる。みっちんのように小さな生きものやモノを言えぬ者たちの思いや声を映しとる力をおばあさんになっても、人間であることが恥ずかしいと言わせたほどなお環境が奪われ汚され破壊され続けるなかヒトの耳の力を研ぎ澄まし続けた作家を思い、しぼみがちな気持ちに小火が灯る。
南国の山の木々が春を装い北国の海原で春を告げる魚が巡る頃、雪氷に覆われた大地の奥底では何やら無数の命の気配が蠢く


2019-01-13
花
ふるさとに帰るたび古いアルバムを見る恒例の儀式。どこかしらか母が引っ張り出してきた姉、弟、妹3人分の色あせた通知表もなかなかそれぞれにおもしろい。そして後輩でもある姪っ子の新しい通知表を手にし、ほぼ半世紀経った今でも通知表の大きさ、デザイン、評価様式(良い、普通、努力しましょうの3段階)が変わらないことを知る。
9歳になった子供たちにとっては今の時点で通知表の結果が頭の良し悪しに結びつくものではなく、ぐんぐん伸びる子やじっくり根を張っていく子などタイプの違いがいくつもあって、Rさんは幸運にも土からの水や栄養を頂いて素直にぐんぐん伸びている状態で、これから何年かかけて花を咲かすの、花が咲いたときに頭の良し悪しが問われるのよ・・・を伝えると、逆に私がどんな花を咲かせているのか問われドキリとした。
1回咲いてはみたんだけど、望んでいる花ではなかったことに気づいて、今度は自分で慎重に土や水や栄養を選んで咲きなおしているところ、Rさんと同じ今でも伸びたり根を張ったりしているところ!と伝える。
同じ質問を向けられた家人ときたら、間髪おかずに「オレ、押し花‼」⁇⁇
触れかたをまちがうと消えてしまいそうな綿菓子のように繊細な感性をも合わせもってしまった彼女からあどけない屈託ない笑いを誘いだした。

