2017-12-24
12月の夜
新月を過ぎ月明り下の雪原の木影が蒼然としはじめる。
12月の美留和の夜景は美しい。
朔のときに呼応し、まるで潮が引いて去っていくかのように
知人の親御さんの訃報が相次いだ。
また今朝はここ数日、家人が集中して読んでいる作家の訃報があった。
昨晩は珍しく遅くまで読んでいたその時間帯に亡くなられたことが
余計に家人を驚かせた。
私にとっても実際にお会いしたことはないものの
一方的に恩義を感じ信のおける書き手のおひとりだった。
早いものでもうすぐ7回目の義母の命日。
義母が他界してから遺ったもののひとつに日記がある。
大学ノートに毎日欠かさず2~3行、その日その日の出来事が記録されているもの。
日記と言えるのかどうかはともかくも
書き手とは無縁の、とくに学歴があったわけではない義母が
恐らく一文字一文字時間をかけて書いただろうことが伝わってくる。
他人に向けて読まれることを意識していない文字と記録だからこそ
今更ながら義母の人となりが感じられ、悔やみに似た痛みも覚える。
いつかは消えて無くなるものだけれども
生きている誰かが手に取るたびにその声は聞こえ
筆跡と行間から義母の息づかいが立ち上がる。
12月の清い暗闇にて合掌


2017-11-24
遠く近く、古く新しく、の往来
目覚めたとき、生暖かく湿り気のある空気に
身体なのか感覚なのか、どこかの焦点が定まらないまま
いったいここがどこなのか分からなくなった。
昨晩、霙ではなく雨粒が屋根を弾く音が夜通し響いていたことを思い出し
外を見ると凍結してまだ日の浅かった冬の風景は一夜にして
再び晩秋に引き戻された。
しかし、また深夜に雪の予報とのことで季節は行ったり来たり。
卒業後初めての小学6年生時の同窓会開催の知らせに
時間の行ったり来たりがうまくいかず、やや行ったっきりの状態で
ここ数日過ごしている。
具体的な背後のいきさつは思い出せないのだが
担任の先生が皆に一篇の詩を引きあわせて下さった。
あとになってそれがあの『智恵子抄』の高村光太郎の詩であったこと、
さらにその後だいぶ大人になって、その詩人は彫刻家でもあり
戦争の時代を生きた人であったということも知る。
もちろん6年生時には、詩のことばそのものを素直に受け止め
当時の身の丈で理解したことにはちがいない。
その後何かの折に触れ、この詩人の作品に出会うことがあり
ことばがいつの時代に、どの立ち位置で発せられるのかによっても
また、それを受けとる読み手の時代と立ち位置、ひいては体調によっても
見え方が随分違ってくることも知った。
ことばが投げかけられる対象との関係性の距離や度合いが
ことばに濃淡を添えることも知った。
ことばと言えば、小学1年生の担任だった先生が
卒業式の日に贈って下さったものも
先生の私に向けての一篇の詩だった。
あれこれ思いを巡らせているうちに
記憶の凍結までも緩んだのかどうか、
わけもなく突然、思ってもみなかった
そんなに親しくした覚えのない友達の名前まで浮上する。
きれぎれの不意打ちに足元がすくわれるようなこころもとなさを伴いながらも
自分を含めた子ども皆の当時の時代を慈しむ思いが芽生える。


2017-09-28
美留和のひと
美留和の「アン」と呼んでいるお隣さんとの
おしゃべりに花が咲く。
美留和の「ハイジ」と呼んでいる友人との
おしゃべりには花畑が広がる。
いつしか日の入りが速くなり、雪虫が飛ぶようになると
アンとのあいさつにはきまって
冬の暖房や除雪でお困りの際は・・・など
つい要らぬおせっかいが口から飛び出る。
冬の1日かけて行う除雪が日頃の運動不足解消になるから
今年も出来るところまではご自分でやることにするのだそう。
ハイジの庭には薪にする木がズドンと運ばれた。
庭や畑の手入れ、収穫に加え薪を割る作業が加わる。
せっせと、手足を、こころを自然や大地に砕く。
美留和の「アインシュタイン」と呼ぶご近所さんは
庭仕事や家の周りの修繕など常に体を動かしておられる。
手足やこころを、生きるエネルギーを同じく使うのであれば
この美留和の老女、老男の健康の、気持ちの自給自足(自律・自立)ともいえる
お姿に倣いたいものだと思う。
そお言えば、近頃木彫りを始めた家人。
性に合うのか、お昼寝返上で子どものように夢中。
暇つぶしでも、遊びにしても何にしても
木を彫ることに手が使われることは幸いだ。
密やかに美留和の「木彫りびと」と呼んでいる。

