2018-03-07

光の粒

すべて消灯した暗闇の中、家人の気配を命綱にして
靴底越の雪氷のでこぼこを足のはら全体で掴むよう庭に降り立ち
初めて北の夜空を見上げたあのとき
視界いっぱい、まさに「天文学的数」に拡がる冬の天の川は
恐ろしく私たちを驚かせた。

光の粒が全身にそそぐ響きなのか
静寂に音があることを感じた。

夜ばかりでなく昼もずっと光の粒を受けながら
ゆっくり回転する太陽系の、銀河系の渦の中で生かされているという実感は
持ち合わせの言葉や感覚ではどうしても追いつかない。
宇宙の時間の中では、人の一生も瞬きにさえならないほど
刹那であることを思ってはみてもうまく収まらない。


ミリ波望遠鏡の観測によって星が誕生するガス雲の中に
生命の兆候や身体を構成する元素が含まれていることが
分かるようになった。


私たちは海よりもずっと大きな空海を母胎に
どこかの星からやってきて
やがてどこかの星に還っていくのかもしれない。

それぞれの星に定められた軌道の描き方があるように
誕生と死、出会いと別れにも
遠のく力と戻ってくる力が働いているとすれば・・・

光の粒が結ぶ虚空の母さんを見上げる。


2017-12-24

12月の夜

新月を過ぎ月明り下の雪原の木影が蒼然としはじめる。
12月の美留和の夜景は美しい。

朔のときに呼応し、まるで潮が引いて去っていくかのように
知人の親御さんの訃報が相次いだ。

また今朝はここ数日、家人が集中して読んでいる作家の訃報があった。
昨晩は珍しく遅くまで読んでいたその時間帯に亡くなられたことが
余計に家人を驚かせた。
私にとっても実際にお会いしたことはないものの
一方的に恩義を感じ信のおける書き手のおひとりだった。

早いものでもうすぐ7回目の義母の命日。
義母が他界してから遺ったもののひとつに日記がある。
大学ノートに毎日欠かさず2~3行、その日その日の出来事が記録されているもの。
日記と言えるのかどうかはともかくも
書き手とは無縁の、とくに学歴があったわけではない義母が
恐らく一文字一文字時間をかけて書いただろうことが伝わってくる。

他人に向けて読まれることを意識していない文字と記録だからこそ
今更ながら義母の人となりが感じられ、悔やみに似た痛みも覚える。

いつかは消えて無くなるものだけれども
生きている誰かが手に取るたびにその声は聞こえ
筆跡と行間から義母の息づかいが立ち上がる。

12月の清い暗闇にて合掌


2017-11-24

遠く近く、古く新しく、の往来

目覚めたとき、生暖かく湿り気のある空気に
身体なのか感覚なのか、どこかの焦点が定まらないまま
いったいここがどこなのか分からなくなった。

昨晩、霙ではなく雨粒が屋根を弾く音が夜通し響いていたことを思い出し
外を見ると凍結してまだ日の浅かった冬の風景は一夜にして
再び晩秋に引き戻された。
しかし、また深夜に雪の予報とのことで季節は行ったり来たり。



卒業後初めての小学6年生時の同窓会開催の知らせに
時間の行ったり来たりがうまくいかず、やや行ったっきりの状態で
ここ数日過ごしている。

具体的な背後のいきさつは思い出せないのだが
担任の先生が皆に一篇の詩を引きあわせて下さった。
あとになってそれがあの『智恵子抄』の高村光太郎の詩であったこと、
さらにその後だいぶ大人になって、その詩人は彫刻家でもあり
戦争の時代を生きた人であったということも知る。

もちろん6年生時には、詩のことばそのものを素直に受け止め
当時の身の丈で理解したことにはちがいない。
その後何かの折に触れ、この詩人の作品に出会うことがあり
ことばがいつの時代に、どの立ち位置で発せられるのかによっても
また、それを受けとる読み手の時代と立ち位置、ひいては体調によっても
見え方が随分違ってくることも知った。
ことばが投げかけられる対象との関係性の距離や度合いが
ことばに濃淡を添えることも知った。

ことばと言えば、小学1年生の担任だった先生が
卒業式の日に贈って下さったものも
先生の私に向けての一篇の詩だった。



あれこれ思いを巡らせているうちに
記憶の凍結までも緩んだのかどうか、
わけもなく突然、思ってもみなかった
そんなに親しくした覚えのない友達の名前まで浮上する。
きれぎれの不意打ちに足元がすくわれるようなこころもとなさを伴いながらも
自分を含めた子ども皆の当時の時代を慈しむ思いが芽生える。