2016-08-25
空と藻琴山、屈斜路湖と(そもくやさんと)
さぷちゃぷん・・ぽわ・・・
さぷちゃぷん・・・ぽわぽあ・・・
泳ぐでも走るでも、浮くでもなく、
揺らぎたゆたい滑る。
カナディアンカヌーの船体、
水と風が奏でるその音色は
耳に心地よく
体に響くゆらぎは水の子守歌。
すーっと低く立ち込める靄の隙間をぬって
風が取り成す朝の光とさざ波の
煌き輝く湖面に抱かれる。
「冒険」や「アウトドア」の言葉で一般にイメージするそれとは
次元を画するカヌーの世界に魅了される。
太古の風景を残す大自然へと誘う水先案内人に恵まれたことはもちろん
ヤマセミ、ミズカラスなど日常では目にも耳にもすることの少ない
水鳥たちの出迎えにこころが弾む。
暗く透明な緑に覆われた先の、水が滾滾と湧き出でるその淵こそ
釧路川の源流。水底には濃い緑のクレソンや梅花藻がゆらぐ。
今朝の雨はいつかずっと遠い先、再び巡り巡って
いつの未来の命を潤すのだろう・・・
「過去のことには思いを馳せやすいけど、未来(先のこと)を
具体的に掴むのはむつかしい気がしますね」
案内人の何気ないつぶやきに、
つい目先のことに追われがちな構えを質す。
破局を避ける未来を思い描くとしたら・・・
大地や自然を天の恵みとして受け止め、
その恵みの中で自然とともに生きる。
そんな遠くない昔、この土地に生き、暮らしていたアイヌの人々のことを思う。
あるいは7代先の子孫のことまで考え大地の恵みを守っていた(いる)という
アメリカ先住民たちのことまでもがふいに思い起こされる。
たかだか200年の産業文明の短視眼(近視眼)をはるかに超える
先住民たちのもつ悠久の時間感覚(意識)・・・
今生まれた赤んぼうたちのことを考えてみる。
彼らは2100年を生きている人たちだ。
少なくとも84年先の未来のことを思い描く務めがある。
カヌーのゆりかごの中でそんなことを思い
呆然としているうち美留和橋に到着。
夢見心地の心身を聖なる胎内から引き裂くかのように
再び娑婆に降り立った。

2016-05-18
allegro(アレグロ)
庭の草花の、樹木の「生きている」ことが目に迫る。
おとといと昨日、湿り気のあった天候から一転、
雲ひとつない空から届くお天道様の光りと熱は
庭の植物たちにとっては「育ち日和」などというぬるさは幻と化して
生き急ぐ息づかいが耳にも迫るようだ。
冬眠のかけらを拭いきれないまま
それでもようやくゆっくりとした歩調に暮らしの速度が馴染んできた矢先
今朝までは確かに固い蕾だった庭の辛夷が
お昼には既に咲き誇っていた。
来年こそは花咲くときに立ち会いたい、花咲く音に耳を澄ませてみたい
と念じるように抱いた想いはまたもやおあずけとなった。
自分の不注意でしでかした失敗ではあるまいし
あたかも大きな獲物を逃してしまったような悔いを砕けないまま
畑の土をほぐした。
「耕さず、無肥料、無農薬は当たり前、ひいては除草もせず」
の福岡正信さんの提唱する、ことば通りの「自然農法」からは程遠い、
軟弱な素人の家庭菜園でせめてできることとして
流通しているF1種ではない固定種を選ぶことにしている。
今年は・・・
時なし大根、ブロッコリー、みやまこかぶ、五寸人参、
いんげん、オクラ、スティック春菊、ガルギール
夏でも涼しい美留和の気候や土との相性に差配され
恐らく発芽もままならないだろうが
収穫よりも何よりも、自然の働きを畏怖し、称え
幸いにも芽が出たら育つ力を応援し愛でることの楽しみを
ささやかに期待しよう。


2015-09-15
花
美留和の湿原には秋の草花が色々をつけるようになった。
この前まで、蝉のどこかしら疳の虫に取り憑かれてしまったような鳴き方に落ち着かなかった耳に
いつしか草花の中から秋の虫の音が届くようになった。
巡る季節の度に色んな草花を目にしているのだが名前を知っているのはほんのわずか。
ヒロハクサフジ、ホソバウンラン、コスモス、エゾトリカブト、エゾオヤマリンドウ、セイヨウノコギリソウ、
イヌタデ、エゾトウウチソウ、エゾヤマハギ、ヒメジョオン・・・・。
多様多種の植物が濃い密度でどこまでも広がり、自然のしたたかさに茫然としてしまう。
宿にもそのとき限りで花が咲くことがある。
先日のお客様は元女子高生の5人組さま(ホントは6人組さまでお一人欠席)。
卒業して〇〇年。夜遅くまで笑い声が絶えなかった。
〇〇年経っても・・・数十年ぶりに会っても・・・
高校時代のニックネームが飛び交うひとときは
傍にいる者にさえ笑みを運んでくる。
お孫さんを持つような年齢を迎え、おのずと体ばかりでなくこころも劣化していくなかで
人知れずそれぞれにきっといろんなご苦労やお悩みはつきものなのだろうが
そんなこと忘れてしまったかのような陽気につつまれて
かわいらしい花がたくさん咲いた。
また、ほかのお客様は実際に目にしたことはないのに「ミモザ」の花と重なった。
おそらく80代前半であろうかと思われるご高齢のご夫婦の、
何とも言えない控えめでゆったりとしたふるまいになぜかミモザ。
グラスワインを注文され、背中のかがめ具合がお二人そっくりで
スープのスプーンを手前から奥に向かって動かし、
音を立てずお召し上がりになっているふるまいに心魅かれたからかもしれない。
外国人のような長身のおもかげを残すお二人の背中に見とれてしまい
ミモザの花束を贈りたい衝動に駆られた。
イタリアに、男性が日頃の感謝を込め身近な女性たちにミモザの花を贈る習慣があるのだが、
この季節が巡るたび、美留和の原野を黄色く染める花を勝手にミモザに重ねていて
それが「セイタカアワダチソウ」という名前であることを知ったはつい昨日のことだ。

