2016-12-10
雪ぼうし
いそいそと支度して
氷点下に舞う上質な粉雪を歓迎し
閉めに雪だるままでこしらえるという
雪遊びついでの除雪は
わずか十数年前だというのに
いつのまにやらまるまる1日にかけて取り組む
大仕事となった。
身体の変化なのか、単に心持ちの変化なのか
あるいは生活習慣からくるしわよせなのか・・・
心身の劣化とは見分けがつけがたい
うっかりの習慣からくる退化だとしたら
無駄と思いはしても抵抗しますからね
と独り言つ。
遊ぶゆとりが遠ざかってしまったことに
がっかりしそうになりながらも
♪雪やこんこ、あられやこんこ♪
と子どもたちで外に駆け出し、
葉っぱの湿雪に練乳をかけて食してみるほど
南国育ちの雪への憧れがいまだにひょいと顔を出すのか
雪ぼうしの外灯に淡い思いを寄せる。

2016-10-01
花
お菓子やさん、本やさん、パンやさん、豆腐やさん・・・
花やさんにもなってみたい(みたかった)生業。
お祝い、お悔み、お見舞い、感謝など
節目節目に花に気持ちを託すときの取り成し役。
お見舞いには元気が出る色とされるオレンジや黄色の花がよく使われるらしいのだが
ハローキティが好きな彼女にはピンクや白の花がふさわしい!という思いが離れず
花材を揃え「とびっきりかわいいのにしますね!」
と、ただの商いに収まることなく、こちら側の依頼を汲みつくし
しかも病室にまで届けて下さるとのこと、
思ってもみなかったはからいに花に託す思いに感動が重なる。
そんなお花やさんの心意気に触れたとき
「花より団子」に傾きがちなふるまいに水がさされる。
人が健やかで康らかに生きるにはたくさんでなくてもよいから
花も団子もあったほうがいい。
ところで、顔見知り程度の間柄でお花を頂くとき
素直な喜びよりも戸惑いの方が先立つ。
けれども花々たちを咎める筋合いはなく
花に「儀礼」をも負わせていることにあらためて気づく。
花のたたずまいを前に人の都合なんてちっぽけでけちなものに思え
恥ずかしい思いにさえとらわれる。
ただ花を眺め、花を愛でるひとときが
このうえない贅沢だと思えるなんて(少なくとも団子と甲乙つけがたい)
子どもの頃には知りえなかった。

2016-08-25
空と藻琴山、屈斜路湖と(そもくやさんと)
さぷちゃぷん・・ぽわ・・・
さぷちゃぷん・・・ぽわぽあ・・・
泳ぐでも走るでも、浮くでもなく、
揺らぎたゆたい滑る。
カナディアンカヌーの船体、
水と風が奏でるその音色は
耳に心地よく
体に響くゆらぎは水の子守歌。
すーっと低く立ち込める靄の隙間をぬって
風が取り成す朝の光とさざ波の
煌き輝く湖面に抱かれる。
「冒険」や「アウトドア」の言葉で一般にイメージするそれとは
次元を画するカヌーの世界に魅了される。
太古の風景を残す大自然へと誘う水先案内人に恵まれたことはもちろん
ヤマセミ、ミズカラスなど日常では目にも耳にもすることの少ない
水鳥たちの出迎えにこころが弾む。
暗く透明な緑に覆われた先の、水が滾滾と湧き出でるその淵こそ
釧路川の源流。水底には濃い緑のクレソンや梅花藻がゆらぐ。
今朝の雨はいつかずっと遠い先、再び巡り巡って
いつの未来の命を潤すのだろう・・・
「過去のことには思いを馳せやすいけど、未来(先のこと)を
具体的に掴むのはむつかしい気がしますね」
案内人の何気ないつぶやきに、
つい目先のことに追われがちな構えを質す。
破局を避ける未来を思い描くとしたら・・・
大地や自然を天の恵みとして受け止め、
その恵みの中で自然とともに生きる。
そんな遠くない昔、この土地に生き、暮らしていたアイヌの人々のことを思う。
あるいは7代先の子孫のことまで考え大地の恵みを守っていた(いる)という
アメリカ先住民たちのことまでもがふいに思い起こされる。
たかだか200年の産業文明の短視眼(近視眼)をはるかに超える
先住民たちのもつ悠久の時間感覚(意識)・・・
今生まれた赤んぼうたちのことを考えてみる。
彼らは2100年を生きている人たちだ。
少なくとも84年先の未来のことを思い描く務めがある。
カヌーのゆりかごの中でそんなことを思い
呆然としているうち美留和橋に到着。
夢見心地の心身を聖なる胎内から引き裂くかのように
再び娑婆に降り立った。
