2009-05-01
緑の季節のはじまり
つい先日の名残雪があっという間に消えるほどの暖かな陽気に包まれるやいなや、一気に緑たちが蠢き出した。長い冬の間、大きな雪塊の重みに耐えかねた植物や木々たちは、折れたり曲がったりしながらも窮屈さからようやく開放され軽やかさをふりまきながら自由を謳歌しているようだ。何気なく歩くいつもの地面に目を凝らすと小さな緑の芽が我も我もとぎゅうぎゅうにひしめき合っている。この地面の奥深いところでは何やら凄いことになってるぞ・・・と不気味で怖いほどのとてつもなく大きな力にぞっとする。沢の水芭蕉、青々としたクレソン、沢沿いの行者葫に蝦夷エンゴサクなど今はまだ芽吹きの軽い助走の段階といったところ。これから、ぐんぐんと音を立てるように留まることを知らぬ勢いで緑と草木の季節がたくましく、確かに駆け抜ける。



2009-03-24
新しい季節の始まり
真っ青な空に紙ふぶきをちりばめたような軽く淡い雪が漂う中、一気に雪解けが進んだ。雪にすっぽり埋まっていた丈の低い木々が姿を現した。小さな蕾がポコポコ膨らみを持たせた枝が生生しく瑞瑞しい。解けた雪の合間の地面にふきのとうがポコリと顔をもたげているのを発見し思わず息を呑んでしゃがみこんだ。いつの間にか春を迎えつつあることを実感しながら、まだ白く覆われている地面の雪をまさぐるように払いのけてみると、地面から半分だけ頭を傾げたふきのとうたちが至るところにポコリポコリと存在していた。渾身の力を振り絞っているかのような傾げ具合が健気さを一層強調してるようで、眩しい気持ちになった。半年ぶりくらいに見るこげ茶色の地面によく映えるパステル調の黄緑色のふきのとうは、季節が変わりつつあることを一番のりに知らせてくれる春の季節の使者だ。また新しく何かが始まるようなあてのない高揚感に戸惑いつつ、かわいらしいふきのとうたちをこころいっぱい眺めて楽しんだ。



2008-12-12
雪遊びの季節
氷点下の寒空に拡がる静かで痛く冷たい無機質の風景が一夜にして雪化粧をした。昨日までの美留和は集落全体が古い時代の中にいるようで動物も人も息を潜めるように動かない、ものごともずーっと変わらない、そこに閉じ込められているぶん、それぞれの人たちがひとりひとりで自然の中に深く入っていくようだった。煽られない、刷り込まれることのない、受動的な刺激から隔離されたこのような環境で、全てを失ってしまったかのような今の時季特有の静けさの中に長くいると、自分の力を頼りにすること、自分の中から精神的なもの、知的なものを感じ取ること、自分の頭で考え抜いて自分の足でしっかりと立つことの必要性が浮き彫りになってくる。次々に移り変わる時間の流れの速さや、消費が次の消費を煽る都会のにぎやかさとは物理的に距離を置いてはいるものの、都会の便利さの一部を都合よく享受し、同じしくみの枠内にいて繋がっていることも確かで、全く切り離すことは出来ないけれども、お金にも物にも人にも、既存の宗教や主義、思想にも依存しすぎることなく、まずは自分自身の力を主体として、不足分を拝借するような共存あるいは交換がうまくできるようになるといいなぁ・・・と朝陽に照らし出された真っ青の空の下に拡がる贅沢な風景を眺めながら模索する。キラキラと眩しい銀色の雪景色に誘われるようブーツやスノーシュー、帽子、コート、アイスキャンドルグッズなどを次から次に机の上に並べて行く。こころがほくほく嬉しがり、1人遊びを始める。

