2008-07-27
アイヌモシリ
晴れた夏の昼下がり、おにぎり、お茶とおやつ、釣り竿を持って釧路川源流、みどり橋まで自転車を走らせた。みどり橋から眺める水の風景は、ここを通りかかるたび、引き寄せられ、足を止めて、流れ行く水の光景と透明度の高さに耳と目ばかりだけでなくこころまでも奪われる。水との境目がなくなり、光も影も、過去も未来も、出会いも別れも、ひとつになって水の中に吸い込まれる。冷たい無機的な至福を突き抜けた先にそれらすべてを抱いて包み込む大地が「場」として在ること、土の匂いを思い出し、懐の大きさに安堵感を覚えるとき同時に「アイヌモシリ」というコトバを想起する。アイヌ語で「世界」の意味であり、「人が住む場所」であり、さらに語源的に分解してみると「人の住む静かな穏やかな土地」という意味になるらしい。すーっと耳に馴染む心地良い響きを持つこのコトバが故なのかアイヌモシリをそう遠くない昔に侵略と搾取、抑圧と迫害、ジェノサイドで人々に対してもコトバの意味においても深く傷つけ踏みにじり汚したことも併せて思い起こしてしまう。そして、こころに飛んでくるような力を持つそんなコトバを持つ先住民たちの精神性の高さに感じ入る。もうひとつ「ヤイコシラムスイェ」。直訳すると「自分自身に対して自分の心を揺らす」ということから「考える」というアイヌ語。川辺で緑をさらさら揺らす風に吹かれ、夏の木漏れ日を眩しく見上げるようにして、アイヌモシリ・・・ヤイコシラムスイェ・・・と口ずさむ。



2008-06-13
springbank
和蝋燭、ヘンプの服、いくつかの本、ある音楽、美留和の水と空気、こころに刻まれた風景など大切にしているもの、大切にしていきたいもの、ずっと残ってほしいと願う数少ないものたちにまたひとつspringbank(1828年設立、 Scotland)のシングルモルトが加わった。彼の生い立ちや数々の苦難をどうにか乗り越え育まれ続けてきた歴史、生まれ落ちるにあたって係わり手間をかけられ、時の経過に委ね熟成にかけられた時間、水や空気や湿度、大地の息吹、造る人々のまっすぐな変わらぬ思いなど、計算し尽くせない目に見えにくいあらゆる背景や偶然と必然が折り重なってここに存在することの奥深さに感嘆してしまう。商業ベースにのせるほどの安定さに労を費やすこととは遥か違う次元で、本当に作りたいものを造るという変わらぬ姿勢で生み出されている彼を目の当たりにし尊敬の念を込め思いを遠くに馳せる。ぶれのない、変わらないものを大切にしたい思いに不安と翳りをもたらせているものが環境破壊、水の汚染であり、彼をさらなる苦境、来るべき挫折に追い込みつつあるのも現実。自然の息吹と恵みあってこそ、その風土が反映された特有の質と相成り、手間暇かけ生み出されたものたちに思いを馳せ大事にしつつ心豊かに生きてゆける生活文化を無邪気な不注意と無知でやすやすと手放し失くしてしまわないうちに、微力なレベルであっても自分の足元で何が出来るのか、どのように生きていくのかを考える。まるでひとの欲望と感情を引き受け象っているようなシングルモルトに、ひととしての嗜みと誇りを確かめるような思いとともに。


2008-05-05
芽吹きの始まり
日に日に夜明けがはやくなり、沢に雪解け水の流れる音やオオジシギ、ウグイスなどさまざまな小鳥たちの声がポリフォニーのように朝の澄んだ空気に響き渡る。沢には水芭蕉がピンとまっすぐ顔をだし、クレソンは青々と緑を成している。はだかんぼうの白樺や柳の枝々には新芽がポコリポコリついて緑の霞をまとっているようだ。美留和のこの時季は長すぎた冬のせいか深い冬眠からなかなか覚めきれないような、どうやって春を迎えたらいいんだかよく考えないと思い出せないような、植物や動物たちの春から初夏に向う予兆が眩しすぎる。彼らの生に向うエネルギーはひたすらに無垢。そこかしこの無垢の気配の漂いに気後れするような違和感を抱いてしまう。枝々に成るかわいらしい新芽の連なりや沢の群落に立ち並ぶ水芭蕉が五線上の音符を連想させ、思わず春らしい旋律が喚起されるとき今の季節の只中に在ることを実感する。

柳のポコリポコリ

こぶしの花と大窓からの景色

クレソン摘み