2008-06-13

springbank

和蝋燭、ヘンプの服、いくつかの本、ある音楽、美留和の水と空気、こころに刻まれた風景など大切にしているもの、大切にしていきたいもの、ずっと残ってほしいと願う数少ないものたちにまたひとつspringbank(1828年設立、 Scotland)のシングルモルトが加わった。彼の生い立ちや数々の苦難をどうにか乗り越え育まれ続けてきた歴史、生まれ落ちるにあたって係わり手間をかけられ、時の経過に委ね熟成にかけられた時間、水や空気や湿度、大地の息吹、造る人々のまっすぐな変わらぬ思いなど、計算し尽くせない目に見えにくいあらゆる背景や偶然と必然が折り重なってここに存在することの奥深さに感嘆してしまう。商業ベースにのせるほどの安定さに労を費やすこととは遥か違う次元で、本当に作りたいものを造るという変わらぬ姿勢で生み出されている彼を目の当たりにし尊敬の念を込め思いを遠くに馳せる。ぶれのない、変わらないものを大切にしたい思いに不安と翳りをもたらせているものが環境破壊、水の汚染であり、彼をさらなる苦境、来るべき挫折に追い込みつつあるのも現実。自然の息吹と恵みあってこそ、その風土が反映された特有の質と相成り、手間暇かけ生み出されたものたちに思いを馳せ大事にしつつ心豊かに生きてゆける生活文化を無邪気な不注意と無知でやすやすと手放し失くしてしまわないうちに、微力なレベルであっても自分の足元で何が出来るのか、どのように生きていくのかを考える。まるでひとの欲望と感情を引き受け象っているようなシングルモルトに、ひととしての嗜みと誇りを確かめるような思いとともに。


2008-05-05

芽吹きの始まり

日に日に夜明けがはやくなり、沢に雪解け水の流れる音やオオジシギ、ウグイスなどさまざまな小鳥たちの声がポリフォニーのように朝の澄んだ空気に響き渡る。沢には水芭蕉がピンとまっすぐ顔をだし、クレソンは青々と緑を成している。はだかんぼうの白樺や柳の枝々には新芽がポコリポコリついて緑の霞をまとっているようだ。美留和のこの時季は長すぎた冬のせいか深い冬眠からなかなか覚めきれないような、どうやって春を迎えたらいいんだかよく考えないと思い出せないような、植物や動物たちの春から初夏に向う予兆が眩しすぎる。彼らの生に向うエネルギーはひたすらに無垢。そこかしこの無垢の気配の漂いに気後れするような違和感を抱いてしまう。枝々に成るかわいらしい新芽の連なりや沢の群落に立ち並ぶ水芭蕉が五線上の音符を連想させ、思わず春らしい旋律が喚起されるとき今の季節の只中に在ることを実感する。

柳のポコリポコリ

こぶしの花と大窓からの景色

クレソン摘み


2008-01-29

とっておきの風景

今年初めての久しぶりのまとまった降雪に、打ちのめされ、へこたれそうになりながらの除雪作業の筋肉痛が抜けきれぬまま、むしろ心地良い痛みに変わりつつあるうちに、疲労のご褒美として励みにし、密かに抱いていた小さな楽しみ、摩周湖散策を快晴の絶妙なタイミングで決行した。凛々しく聳える姿形の良い斜里岳と静寂な摩周湖の冬風景に惚れぼれし、夏には熊笹や樹木が覆い茂る辺り一面が、陽光でキラキラと輝くなだらかな丘、風紋や氷塊の伴う雪原と化し、スノーシューを履いてこれから摩周岳の頂上に向かって自由自在に歩いていく新雪の道なき道に足を踏み入れる感触にこころが踊った。途中、頂上に向かう先客の足跡を見つけた。それは、うさぎの軽やかなかわいらしい足跡や深雪にずっぽりと埋もりながら苦労して歩いたであろう重たい足取を残す鹿の足跡、そして、きっとあまり苦労せず、道草などもせず淡々と賢そうに歩いたであろう北キツネの足跡だった。痛くて冷たく、身体を張って登るしんどさを超えて、こころは楽しんでいることを実感し、思う存分こころを遊ばせる。こころが遊んでいることに嬉しくなって、思わず身体が動く。角度と高さを変えて、陽光の屈折と反射に微妙に色合いを変えていく雪原に溶け合い、さまざまな表情の厳寒と静寂の織り成す贅沢な景色に息を呑む。全てを分かってただただ黙ってそっくりそのまま受止めているような、いつも変わることなくゆるぎなく、穏やかで静かな摩周湖に胸を借りるようなつもりでいつまでも立ち尽くした。