2007-10-19
秋の散策
日に日に朝晩の空気が冷たくなり、今年は樹木の紅葉を待たずして冬を迎えてしまうのではないかと心許無い気持ちを払拭するかのように、お昼前におにぎりとおやつ、熱いお茶をリュックに詰め、毛糸の帽子とマフラーでしっかり防寒し、川湯のつつじケ原林道を散策してみた。秋の森の空気は格別だ、と思わず呼吸が深くなる。木々の重なりを貫いて射す落陽がミズナラ、シラカバの黄葉した葉っぱを捉え、黄金の濃さを増したキラキラした情景はこころを捉える。アカエゾマツの純林に入ると清新の気が鋭さを増し、空気の透明度の高さを五感で感じる心地良さがなんとも言えない。例年と比べると迫ってくる鮮やかさには欠けるような気はするものの、やはりこの時季の自然の色合いと季節の移ろいには、毎年繰り返し感動する。さらに木の香りと色合いを求め、腐葉土に覆われた地面に落ちる新しい枯葉のかさかさする音を楽しみながらキンムトーまで足を延ばしてみた。キンムトーの山々は紅、橙、黄色、黄土色、茶色、黄緑、緑のあらゆる色が混じりあい、湖面が鏡となって映る景色に時が止まり、音も風もない水辺の静寂な情景に再びこころ奪われ放心していると、すぐ近くのどこかで空気を震わすような切ない鹿の鳴き声が響き渡った。



2007-09-26
初 秋
宿の庭の草花を摘み取って飾る贅沢さや今年初めて実をつけたハスカップの小さな木を観察せずにはいられなかった、ささやかな夏の日々が足早に遠ざかった。冬から春に移り変わってゆく頃の、長過ぎる冬に次の季節をなかなか思い出せないような雪解けの頃の時の停滞とは対照的に、ばさっと潔く夏を切り捨て、ぱっと切り替わった秋の到来に置いてけ堀をくらい心許無い。季節の流れと身体の中のリズムとのズレを埋めるかのように、道草を重ねる。すっきりと晴れ渡りどこまでも透明な水に静かに満たされた端正な摩周湖、湖畔沿いの真っ先に赤く変わり始めた蔦類を先頭に彩り鮮やかな装いが待ち遠しい屈斜路湖、至るところの道端のススキなど、肌で、匂いで秋をたくさん感じた。そして、この季節ならではの名月。毎年繰り返し眺めては美しいと感じ、憧れて、ほっとする。遺伝子の中に遠い遠い過去の月の記憶が継承されているかのように訳もなく、お月様をついつい眺めてしまう季節がやってきていることをかみしめる。


2007-07-03
草のにおい
緑濃い初夏、酪農家が多く、牧草地が点在する美留和は1回目の草刈りの季節。一番刈りの牧草ロールが、ただっ広い牧草地に次々と増えていく。庭に出ると、どこかの干し草のにおいが風に漂っている。この干し草のにおいは、子供だった頃の祖母の家のにおい。皆に擁護され、慈み育んでもらえる、限られた短い夏のような幼児期の想い出には、いつも祖母がいた。子供の頃の、手放しの幸せの記憶の象徴。樹影の落ちる夕暮れ時のいつもの散歩道、草と牛の素朴なにおいを運んできた風の中に、静かでゆるやかな祖母の気配を感じ、生きていることの懐かしさのようなものにとりとめもなく包まれた。

