2007-06-03

新緑の季節

6月に入った美留和では、競うように餌台に集まったり、庭の虫をついばみ、なかなか地面から頭を離さないでいる小鳥たちに加え、沢周りをぴょんぴょん飛び跳ねるエゾリス、隙あらば人に噛み付こうとするブヨや、理由もなくなぜか勝手に、ぎょっ!と驚いてしまうへびがまどろんでいる様子を目にすることが多くなった。白樺や柳の木々、ハーブや雑草に至るまでの植物は、長い冬の間はエネルギーをひっそりと押し殺し、雪解けの頃は木や草の芽どきの期間を溜めるに溜めて、何らかの合図でいっせいに飛び出すかのような勢いを持って次から次に芽吹き、ぐんぐんのびていく生命力に満ち溢れ、こちらが気後れしてしまいそうになるほどだ。北海道の6月は緑が一番綺麗で、特に雨あがりの緑は色んな香りで馨しい季節だ。弟子屈の地場産の野菜などもこれからお店に並ぶ季節。旬の野菜は美味しいことはもちろん栄養価も高く、そして何より生命力に溢れていて瑞々しさを見ているだけで元気がふつふつと湧いてくる。厳冬の最中でどこからかエネルギーを都合してかき集めてこなければ元気が湧かないような気分とは対照的だ。さて、今年のお宿かげやまの菜園には何を植えようか・・・とあれこれ想像しながら畑を耕してみた。


2007-04-02

風 花

美留和の春の背景はグレイ色。氷点下の眩しすぎるほど真っ白だった雪景色が今では灰色と茶色の割合の多い風景が拡がっている。本州の桜の花が開花する頃のぽかぽか爛々とした陽気な日差しはここにはない。雪って汚れるものだったんだ・・・と、この汚れを覆い隠すかのように降り続き幾重にも重ね真っ白にしてくれていた冬の雪がうわべの白さだったことに気づく季節。茶色や灰色に汚れた雪が地面に拡がる風景に気持ちまでどんよりしそうな最中、小片の綿雪の舞う景色はこの時期が故の際たつ醍醐味だ。冬の雪のように汚れを覆い隠すことをせず、ふわり、ふわり空中を心地良く漂ってグレイ色と化した風景に一縷の光をさすような儚さに思わず引き込まれてしまう。一足はやく芽吹いたねこやなぎと雪の合間にぐんぐんと顔を出しているふきのとうを見つけ、形や色や生命のたくましさに、ほほ笑ましいやら愛らしいやら、ふつふつと元気が沸いてくるときほっとする。


2007-02-25

Bonjour

地面はまだ凍りついて堅くなった雪で覆われているが、ここ数日で陽光の色合いと空気の張り詰め具合が目に見え、体で感じ取れるほど随分と和らいできた。昨夜から音楽の仕事をされているお顔馴染みのお客様が、今回はパイプオルガニストとしてフランスから来日されているご友人を誘いお越し下さった。宿の小さな空間にはフランス語と英語と日本語が融合して響き渡り、「分かり合う」ことを前提に丁寧に伝え、丁寧に受止めていらっしゃるご様子に聞き慣れないフランス語がBGMの音楽のように妙に心地良く拡がった。覚えたてのMerci beaucoup を伝える機会が巡ってきたことと、それが伝わったことにとても嬉しそうな顔の宿主だった。同じ日本人同士であれば育ちの多様さや違いが見えにくくなってしまうけど、もともとは違う個人同士。人が人を分かろうとするとき、既に半分くらいはそっくりそのままを受け入れる前向きな強さと力があるような気になる。人が人を分かろうとするそのこころ構えというかこころの在り方が、残り半分の「育ちの多様さ」を含めた理解するということにおいては決して完璧には成せない、そして言葉では追いつかない、それに代わる感覚、感知のようなものを研ぎ澄ましていくような気がする。そんなお客様の余韻を残す宿の大窓からの景色と流れる空の雲を眺めながら、もうすぐそこまで春がやってきていることを感じた。

沢伝いに溶けてきた雪