2007-01-11
氷点下の摩周湖の風景
新しい年を迎え、時を重ねるにつれて日常は人だったり、景色だったり、色んな出来事と出会って別れ、流されながらの積み重なりであることをつくづく思う。どんなに素敵な出会いでも、また逆に辛い出来事でも、細かい記憶はいつかは薄れ行くけれど、その時々の気持ちはこころに刻まれ染み込んで、色合いのような感覚としてふとした時、思いがけず懐かしい馨しさを伴って胸の奥をきゅっとさせたり、鼻の奥をツンとさせたりしながら滲み出てくることがある。好むと好まざるとに関らず降りかかる出来事や偶然の出会い、ご縁のようなものの繰り返しの日常の中で、なかなか難しいこともあるけど、こころは自由にしておきたい。そして、自分にとってキラキラと輝くような色合いの思い出になるであろう出来事もいつの日か記憶から遠ざかっていくであろうことは知りつつも、余韻とぬくもりが残っているうちは何度もこころの宝箱から取り出してはその時の思いや気持ちを転がしてみようと思う。流されていてもいつでも忘れていないことを願うような気持ちで。今日の摩周湖の風景に付随する思いもいつかどこかで懐かしく蘇ることだろう。

2006-10-20
秋を感じる
初夏から続いたお客様が一段落した秋晴れの静かな朝、お昼ご飯でも持って屈斜路湖沿いをサイクリングしよう、と突然宿主に誘われた。早速おにぎりとサンドイッチをこしらえ、熱い紅茶とおやつもリュックに詰めて、紅葉を楽しみに出かけてみた。今年は先日の低気圧で紅葉前に木々の葉っぱが落ちてしまい、そして、急に霜が降りたことから、紅葉を待たずして全体的に枯れ葉色の風景が拡がっている。お気に入りの池の湯林道でさえ例年の迫りくるような紅葉のシャワーや紅葉のトンネルの眩しさ、カラフルさは断然控え目で、冬の香りがうっすら漂っていた。何だか季節が急いでいるような、季節の移ろいに置いてき掘にされ取り残されてしまったかのような心細さを一瞬感じたが、サイクリングで受ける風が気持ちよくて、風を感じ風に耳を澄ませることに集中した。途中の川面は無数の鮭の遡上でキラキラと異様な輝きを放っていた。最後の力を振り絞り、命が尽きそうになりながらも、それでも上流に向かう姿に涙ぐんでしまうほどだった。鮭くんたち自身の最後の仕事を全うするこの光景はいつ見ても深く感動してしまう。果てしなく拡がる秋空と山並みが見渡せる眺めの良い牧草地でおにぎりをほおばった。ぽかぽか陽気の大きな風景の中、羊雲が色んな形に変化しながら流れていく景色を見つめ、心地良い風に吹かれながら足早に去って行きそうな今年の秋を感じた。




2006-08-12
自家菜園からの収穫
春先にふと、今年は初心者向きの野菜が作ってみたいなあ・・・と、野菜作りから家具作りに至るまでありとあらゆる物作りをいとも簡単にこなしてしまう手先器用な北海道の友人に話していたことをすっかり忘れていた5月末頃、その友人が「どこに畑作る?」を挨拶言葉に面倒見の良い友人は、さくさくと手際よく魔法のようにビニールハウスのある小さな畑を完成させた。見よう見まねで土を耕すこと以外何もできなかった宿主は、小さいけれどこんなに本格的な畑になるとは思ってもみず、芽がでるのを待ちわび、そして芽が出て日に日に育っていく野菜たちの姿に喜びもひとしお、知識豊富な友人からのアドヴァイス通りに水まきと草取り、間引きをする毎日が続いた。そして夏を迎えると成長は勢いづいて留まるところを知らず、次から次に収穫している。ちんげん菜、小松菜、人参、モロヘイヤ、ラディシュ、キュウリ、トマト、紫蘇、パセリ、葱、ラズベリーまで、初心者にしては充分すぎる豊作に収穫のたびに新鮮な喜びの気持ちでいっぱいになる。採りたての土のいっぱいついた野菜をお日様に浴びながら外の冷たい水で洗い流し、根をハサミでパツンパツンと切り落として行くとき、野菜の命を止めているようで、自分の周りのそこかしこには命に関ることで溢れていることを思わずにはいられなかった。野菜にくっついてきた青虫やかたつむりにぎょっ!とし、全く仕様がないなあ・・・と愚痴りながら、でも、何となくかしこまって静かに退かした。



