2007-09-26
初 秋
宿の庭の草花を摘み取って飾る贅沢さや今年初めて実をつけたハスカップの小さな木を観察せずにはいられなかった、ささやかな夏の日々が足早に遠ざかった。冬から春に移り変わってゆく頃の、長過ぎる冬に次の季節をなかなか思い出せないような雪解けの頃の時の停滞とは対照的に、ばさっと潔く夏を切り捨て、ぱっと切り替わった秋の到来に置いてけ堀をくらい心許無い。季節の流れと身体の中のリズムとのズレを埋めるかのように、道草を重ねる。すっきりと晴れ渡りどこまでも透明な水に静かに満たされた端正な摩周湖、湖畔沿いの真っ先に赤く変わり始めた蔦類を先頭に彩り鮮やかな装いが待ち遠しい屈斜路湖、至るところの道端のススキなど、肌で、匂いで秋をたくさん感じた。そして、この季節ならではの名月。毎年繰り返し眺めては美しいと感じ、憧れて、ほっとする。遺伝子の中に遠い遠い過去の月の記憶が継承されているかのように訳もなく、お月様をついつい眺めてしまう季節がやってきていることをかみしめる。


2007-07-03
草のにおい
緑濃い初夏、酪農家が多く、牧草地が点在する美留和は1回目の草刈りの季節。一番刈りの牧草ロールが、ただっ広い牧草地に次々と増えていく。庭に出ると、どこかの干し草のにおいが風に漂っている。この干し草のにおいは、子供だった頃の祖母の家のにおい。皆に擁護され、慈み育んでもらえる、限られた短い夏のような幼児期の想い出には、いつも祖母がいた。子供の頃の、手放しの幸せの記憶の象徴。樹影の落ちる夕暮れ時のいつもの散歩道、草と牛の素朴なにおいを運んできた風の中に、静かでゆるやかな祖母の気配を感じ、生きていることの懐かしさのようなものにとりとめもなく包まれた。


2007-06-03
新緑の季節
6月に入った美留和では、競うように餌台に集まったり、庭の虫をついばみ、なかなか地面から頭を離さないでいる小鳥たちに加え、沢周りをぴょんぴょん飛び跳ねるエゾリス、隙あらば人に噛み付こうとするブヨや、理由もなくなぜか勝手に、ぎょっ!と驚いてしまうへびがまどろんでいる様子を目にすることが多くなった。白樺や柳の木々、ハーブや雑草に至るまでの植物は、長い冬の間はエネルギーをひっそりと押し殺し、雪解けの頃は木や草の芽どきの期間を溜めるに溜めて、何らかの合図でいっせいに飛び出すかのような勢いを持って次から次に芽吹き、ぐんぐんのびていく生命力に満ち溢れ、こちらが気後れしてしまいそうになるほどだ。北海道の6月は緑が一番綺麗で、特に雨あがりの緑は色んな香りで馨しい季節だ。弟子屈の地場産の野菜などもこれからお店に並ぶ季節。旬の野菜は美味しいことはもちろん栄養価も高く、そして何より生命力に溢れていて瑞々しさを見ているだけで元気がふつふつと湧いてくる。厳冬の最中でどこからかエネルギーを都合してかき集めてこなければ元気が湧かないような気分とは対照的だ。さて、今年のお宿かげやまの菜園には何を植えようか・・・とあれこれ想像しながら畑を耕してみた。

